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サブゥー “偉大なるシーク様”の教え――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第92話>

サブゥー “偉大なるシーク様”の教え<第92話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第92話は「サブゥー “偉大なるシーク様”の教え」の巻(Illustration By Toshiki Urushidate)

 アメリカのインディペンデント・シーンの超大物。“テーブル破壊”“自殺ダイブ”に代表される1990年代のハードコア・スタイルのトレンドをつくったレスラーである。  “アラビアの怪人”ザ・シークの甥で、シークのマンツーマンのコーチを受け、1985年にテリー・SRのリングネームでデビュー。1989年、シークの命名によりサブゥーに改名した。  シークは甥っ子のサブゥーがプロレスラーになることをなかなか許さなかった。  「お前なんかにできるはずがない」「どうせすぐにやめちまうんだろう」「この仕事で成功できるのはごくひと握りの選ばれた人間だけだ」「金持ちになりたかったら大学へ進んでビジネスを勉強しろ」  サブゥーがシークのカバン持ちになったころ、シークことエド・ファーハットが社長だったデトロイトの興行会社ビッグ・タイム・レスリングはほとんど潰れかかっていた。“看板スター”のシークとその宿命のライバルだったボボ・ブラジルはもう60代に手が届いていた。  シークと大仁田厚のコネクションが、サブゥーを日本のリングへと導いた。FMWはデトロイトのビッグ・タイム・レスリングのような団体だった。  “シーク役”はもちろん大仁田で、毎晩のようにデスマッチと大流血戦がくり返されていた。  サブゥーにとってはプロレスラーになって初めて訪れた大きなチャンスだったから、みずからすすんで有刺鉄線ロープに飛び込み、体じゅうを血だらけ、傷だらけにした。“自殺ダイブ”のエッセンスはこの時代に生まれた。  アメリカにもシークや大仁田と似たような“プロレス観”を持ったプロデューサーがいた。  経営不振だったフィラデルフィアのインディー団体ECW(イースタン・チャンピオンシップ・レスリング=のちにエクストリーム・チャンピオンシップ・レスリングに改称)をテイクオーバーしたポール・ヘイメンである。  ヘイメンは「アメリカのレスリング・シーンに革命を起こす」と叫び、ハードコア路線、クラシック路線、ソープオペラ路線とありとあらゆるざん新なアイディアをリングにぶつけた。  “ECW革命”の最初の5年間の主人公はサブゥーだった。ECWの急速な発展と消滅までの歴史はWWEのオフィシャルDVD“ライズ・アンド・フォール”に克明に描かれている。  ECWが倒産し、WCWがWWEに買収されたことで、アメリカのレスリング・ビジネは実質的にWWE1団体のモノポリー経済になった。  ECW崩壊後、ボスのヘイメンをはじめ、主力メンバーのほとんどはWWEに吸収され、ECWのエッセンスとテイストはほんのちょっとだけWWEのリングに注入された。  しかし、アメリカじゅうのインディー団体が消えてなくなってしまったのかといえば、それもやっぱりちがった。現在でもアメリカ国内だけで250から300グループといわれる弱小インディーズが活動をつづけている。
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サブゥーのターバンの柄は“9・11”以後、星条旗デザインに
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