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“ゆきぽよ”は最終兵器!? ギャルタレントの系譜6人衆

 不思議なことに、日本の芸能界の第一線には常に“ギャルタレント”が一人か二人いるものだ。  今、最も旬なのは、2017年にアメリカ発の恋愛リアリティ番組『バチェラー・ジャパン シーズン1』だけでなく、アメリカの本家『バチェラー・ウィンターゲームス』にも呼ばれ、海外からも熱視線を浴びている“ゆきぽよ”ではないだろうか。
 2012年、高校在学時にギャルファッション誌『egg』でモデルデビューし、『vine』での動画配信が6000万回再生突破と話題になったゆきぽよ。その後、2017年に『バチェラー・ジャパン』、2018年アメリカ版『バチェラー・ウィンターゲームス』に日本人として唯一参加したという経歴の持ち主だ。  日米の『バチェラー』で大きな爪痕を残した彼女は、バラエティ番組で引っ張りだこに。今年の目標は「1年でテレビに300本以上出る」ことだそうで、野心も充分である。  そこで今回は、ゆきぽよ以前にはどんなギャルタレントたちが世間を賑わせてきたか、その系譜を辿ってみよう。

小森純:現在のギャルタレブームの“はしり”となった存在

 まずは17歳でギャルファッション誌『Popteen』の読者モデルとしてデビューし、ギャル界のカリスマへと上り詰めた“純ポ”こと小森純だ。そのファッション性や恋愛観は多くの女子たちの支持を集め、2009年にはつけまつげをプロデュースするなど、その影響力は絶大。2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグにおける日本代表のスコアを3試合全て的中させるという、変わった能力を発揮したこともあった。  2011年には『men’s egg』のモデルだった今井諒と結婚するも、その翌年にブログが炎上し、しばらく芸能活動を自粛。現在は2児の母で、神奈川にネイルサロンをオープンしたりアクセサリーブランドを手がけたりと、また違った方面で活躍している。

益若つばさ:多大な経済効果を生んだ“100億円ギャル”

 次は小森と同年齢の益若つばさ。彼女も17歳の頃から『Popteen』の読者モデルを務めていた。小麦色の肌が印象的だった益若は、高校卒業後は日焼けサロンに勤務していたそうで、Instagramでは「お父さんには日焼けは止められていたけど、私は真っ黒GALになりたかったのだ」と当時のことを振り返っている。彼女の着用アイテムやプロデュース商品はバカ売れし、“100億円ギャル”なんて形容されたことも。  今年1月23日にはこれまたInstagramで、ド派手な金髪時代と現在の写真とを比較しており、最近はガーリーな雰囲気は残しつつも大人びたスタイルに変わってきているようだ。埼玉出身という縁で、2月22日公開予定の映画『翔んで埼玉』にも出演する彼女は、どんな演技を披露するのだろうか。
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超一級の、おバカキャラと言えば…
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