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純烈、紅白2年連続決定! ~純烈物語「白川が体感した石灰まみれの熱唱」

 ’18年大晦日に「紅白歌合戦」出場を果たし「紅白に出て、親孝行」という念願が成就。この世の春を謳歌していた、ムード歌謡グループ・純烈。しかしそのわずか9日後に発覚したメンバーの不祥事で事態は暗転、グループ存続の危機に立たされた。 白と黒とハッピー~純烈物語 純烈を結成、リーダーそしてプロデューサーとして苦労の日々を重ねてきた酒井一圭は、元々子役として芸能界にデビューし、戦隊ヒーロードラマなどで名を刻んだものの、その後鳴かず飛ばずとなった過去を持つ。後にプロレスと出会い、実際にリングに上がることで、その表現方法を純烈に昇華させている。その類まれな“人間力”はどこから生まれたものなのか。酒井本人やメンバーの現在と過去を行き来しながら、純烈の裏側を紐解くノンフィクション新連載―――酒井とともに「マッスル」に浸かってきたプロレスライター・鈴木健.txtが緻密な筆致で迫る。

第19回 自分のノドと向き合う宿命の中で白川が体感した工場プロレスと石灰まみれの熱唱

石灰まみれで力石徹ばりの真っ白になりながら、最後は「恋は青いバラ」を熱唱(写真提供/Extreme Party)

 感音性難聴は、音を感じ取る内耳及び感音器の障害によって起こる難聴である。通常は加齢、メニエール氏病などの病気、騒音が原因となるが、白川裕二郎の場合は先天性で、それに気づかぬまま生きてきた。  症状としては「聞こえる範囲の音がせばまる」「音がぼやける」「高音域の聴こえが悪くなる」があげられ、白川が言う「低い音なら聴こえるけど、ある音になると塞がっている感覚になる」がそのまま当てはまる。音が拾えないのももちろん難儀なのだが、歌い手であるがゆえにさらなる負担へとつながってしまう。 「聴こえないことでリキんでしまい、ガッと力を入れて歌うことでノドを潰してしまったり、すぐに疲れたりするんです。その調子で声を出し続けると、ライブの2、3曲でノドがガサガサになり、さらに無理して出そうとするから悪化させてしまう」  現在、白川はイヤーモニターをつけてステージへ上がっている。それによって音を取りやすくできるのだが、PAの位置によっては聴き逃してしまうケースもなくならない。  純烈丸出航から難聴が判明するまでの10年近く、そうした状態の中で歌ってきたから“歌いグセ”が染みついており、それを抜くのが大変なのだという。スタート当初であれば難聴を理由に引き返せただろうが、もうあと戻りはできないところまで来ていた。  歌を続ける限り、白川は自分のノドと向き合うことを宿命づけられている。大なり小なり、声を生業とする人たちはそうなのだろうが、だからこそ数値でわかるような進歩の形をより欲する気持ちはわかる気がする。  ノドに関していうなら、忘れられぬ体験がある。純烈は結成以来数々のあり得ないシチュエーションでパフォーマンスを見せてきた。6人編成だった頃、北海道を「夜のキャンペーン」でまわった。とあるバーにいくと3人しか入れないカウンターがあり、そこに全員が芋を洗うように詰め込まれてわずか2、3人の酔っ払い客の前で歌った。  また同じ北海道の札幌雪まつりでは氷像の上で歌ったのだが、他のアーティストは手袋やジャンパーで防寒した中、純烈は歌手魂をムダに燃え盛らせ通常の衣装一枚で熱唱。山中湖のイベントに出演した時は、歌わせてもらえる条件として翌日に湖一周16kmを走らされた。  リーダーの酒井一圭が、面白そうなことや奇抜なロケーションを大好物とする人間だから、他のメンバーもそれに巻き込まれる。その最たるものと言っていいのが「工場プロレス」だった。
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路上プロレスに呼ばれて……
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