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<純烈物語>白川裕二郎の動機はいつでも母親「純烈は自分の人生で唯一の博打」<第17回>

第17回 「純烈は自分の人生で唯一の博打」白川裕二郎の動機はいつでも母親

 酒井一圭が3人のメンバーについて語る回がすべてアップされたあと白川裕二郎、小田井涼平、後上翔太を取材した。個別に聞くさい、まず最初に「書いてあることでここは違う、あれは言っていないというところはありましたか」と振ってみた。  3人とも、言い方はそれぞれであっても自分の中の真実とは微妙に食い違う部分があった。その上で「でも、リーダーはそういう人という認識でやっているし、結果としていいものになればそれでいいんです」といったスタンス。  ○○だから――これを得た人間は、最強である。すべてがそのひとことで解決されるし、それを前提にした手段や方法に基づき物事が回っていく。  3人とも、身内でありながら酒井の習性について話す時は、他人事のように楽しそうな顔をしていた。小田井はそのすべてを包み込むように、後上は珍しい大人を見る少年のごとく、そしてもっとも長い付き合いの白川は「昔から全然変わっていないんですよ」と苦笑しつつも、こう続けた。 「知らない人から見たら、あいつは何言ってんだ!? ってなるんでしょうね。でも、役者だった頃から酒井一圭を見てきて、悪人じゃないことはわかっているんで――」  白川が角界出身であることを知らぬ純子や烈男はほとんどいないと思われる。そこから戦隊俳優となり、現在はムード歌謡グループのリードボーカルという経歴そのものが、純烈を語る上で枕詞の一つとなっている。  小さい頃は野球選手になるのが夢で、日が暮れるまでソフトボールをやり駆け回っていた裕二郎少年。小学3年生のある日、町の相撲大会が開催され出場したのだが一勝もできず悔しい思いをして、4年生になったらもう一度チャレンジしようと柔道教室へ通い始めた。  1年後、すっかり強くなった裕二郎は3位に入賞し、地元である港北地区の大会では優勝を遂げる。それから6年生まで出場。子どもにとって魅力だったのは、勝った分だけいろいろな賞品をもらえることだった。 「デッカい西瓜をもらってそれを家まで持って帰ったり、せんべいの詰め合わせやゲーム機ももらったりしました。両親が相撲好きであることもあって、そういうのを持ち帰るとすごく喜んでくれたんです。その時、子ども心に自分が相撲界へ入ったらもっと喜んでくれると思いました」  だが小学6年の時、父が他界。そこからは母が女手一つで姉と自分を育ててくれた。学校の先生を職業としており、その上で2人の面倒を見るにはいくら時間があっても足りない。  それでも母は子どもたちを何よりも優先してくれた。ご飯を食べる時も、裕二郎の分はちゃんとあるのに「これも食べなさい」と自分のものを皿の上に置いた。迷惑をかけないようにと思いながら、エネルギーがあり余っていた年頃だけに苦労をかけてばかりだったと白川は振り返る。
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千代の富士に憧れて好きだった相撲の世界に入門
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