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<純烈物語>なぜワイドショーは純烈に対し好意的なのか?<第37回>

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<第37回>なぜワイドショーは純烈に好意的なのか。与えてくれた人に対し全力でお返しをする

 純烈丸の乗組員には、2人の甲子園経験者がいる。一人はマネジャーの山本浩光。1991年、3年時の夏に山口の強豪・宇部商業の4番ファーストとして活躍し、3回戦まで進出した。  そしてもう一人がレコード会社アーティスト担当・新宮崇志で、1998年に春のセンバツへ出場。茨城の名門・常総学院で2年時にセカンドのレギュラーポジションを獲得し、1回戦を突破。3年時にはキャプテンも務めた。  山本が194cmの長身を誇るのに対し新宮は164cm。今年の大江戸温泉凱旋ライブでも見られたように、2人の身長差はしばしステージに引っ張り出されネタとなっている。  言うまでもなく、甲子園出場は紅白歌合戦に匹敵するほど難しい。2人ともそこでは並大抵の経験をしてこなかったはず。団体競技で学んでいるからこそ、その時に培ったフォア・ザ・チームの精神が純烈とかかわる上で生かされているのだろうか。新宮は言う。 「ああ、それはあると思います。あくまで中心はリーダーですけど、純烈には山本さんの存在がある。山本さんのマネジャーとしての業務って失礼な表現をしちゃうと本来、演歌・歌謡曲のマネジャーがやるべきことまで手を回せていないということがあったりもするんです。ただ、その代わりに本来マネジャーがやるべきことじゃないことをやりまくっている。  山本さんは、山本さんにしかできないことをたくさんやっていて、ならばここを補ってあげればいいじゃん!なんですよね、僕は。メーカーがやるべき仕事じゃない、俺の仕事じゃないというものもあるんですけど、そこはチームとして補い合うべきだと思うんです」  現在はコロナウイルスの影響でライブやイベントを自粛する日々が続く純烈だが、そうなるまではほぼ休みなくスケジュールが埋まっていた。それをやりくりするだけでも大変なのに、山本はメンバーとともに現場へ行き、数え切れぬほどのリクエストや相談に対しYESかNOかの判断を出し、その間もひっきりなしに電話やメールでやりとりしている。  この連載の取材中も、少しでも時間が空くとイスに座ったまま“落ちた”姿を何度となく見た。大きな体の中には、人の何倍もの心労が詰まっているかのようだ。  4番バッターはチームの大黒柱。高校時代から俺がやらなければという責任感が、人一倍強かったはずだ。 「わかりやすいのは運転ですよね。あれほどの衣装を積んで長距離を走るのが、当たり前になっている。山本さんは0泊2日で東京-八戸間を往復してしまう人なんです。都内の移動とかはあっても、マネジャーがそこまで長距離を運転するケースは、他のアーティストやグループではなかなか見られない。  4人の個々の稼働が増える中で、山本さんの稼働も増えていく。だから山本さんがいかなくても僕と小田井さんでいくとかして、山本さんが別のことをできる時間を作るという感じですよね」
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山本と純烈の特別な関係
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(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。

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