<純烈物語>なぜワイドショーは純烈に対し好意的なのか?<第37回>
純烈と新宮が特別な関係にあるのと同じように、山本との呼吸や間合いも2人ならではのものであることが伝わるだろう。そうした時間を共有してきたからこそ、いざという時に対応できた。昨日今日のビジネスパートナーだったら、頭も体も当たり前のようには動かなかった。
純烈側もそうした関係を築けているとの確信があるから、レーベル側の人間である新宮に、いちスタッフ並みのことを依頼し、任せる。もちろんそこにNOの選択肢などない。スキャンダル時も「僕が山本さんの代わりをやります」と報告すると、無条件で会社は理解を示した。
CDの売り上げによって貢献している分、純烈に関することであれば社内でも融通が利く。あのスキャンダルを乗り越えられたのは、こうした表には出なかったさまざまな積み重ねがあったからこそだった。
人間、目標をなし遂げるよりもそれを現実のものとしたあとに継続する方が難しい。プロレスでもデビューしたところで一度達成感を味わうと、そこで夢を果たしてしまって自分の進むべき道を見いだせなくなり、消えていくケースを何度となく見てきた。受験も就職も、入るのが目的ではなくそのあとに何がやりたいかなのだ。
10年かけて実現させた紅白歌合戦出場。本来ならば純烈の2019年は、もう一度同じ夢をつかむための闘いに臨むはずだった。ところが年頭のスキャンダル発覚により、それどころではなくなった。
酒井一圭も言った通り、1度目と2度目は同じ紅白でもまったく意味合いが違う。初出場からの一転……という意味で、この2年間は地続きだった。だから初めて夢を実現させたかのように、新宮も山本も大泣きした(それを密かに動画撮影し、世に晒すリーダー)。
「1回目とは涙の種類が全然違いましたよね。2019年の途中から、今年出られなかったら友井(雄亮)のせいで……ってなるよなというところがあって、絶対に彼が苦しむから何がなんでも出なきゃなとかかわる者たちみんなが思っていました。その上で応援してくれたファン、業界関係者に対しての恩返しになる。必死も必死でしたね。紅白に向かっていく意味合いがガラッと変わった」
スキャンダル後の純烈を眺める中で、ひとつ気づいたことがあった。マイナスからの再出発を図ったグループに対し、各ワイドショーのスタンスが好意的に映ったのだ。
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxt、facebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売
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