更新日:2023年05月24日 15:13
エンタメ

<純烈物語>マネジャーが甲子園優勝監督のもとで培った観察眼<第38回>

相手への物の伝え方を意識している

 純烈の撮影会で列を仕切る時や、シャッターを押すさいも新宮が明るくとっつきやすい姿勢で接するのは、多くのファンも見ている。自身が培ったことで形成された性分が、そこでうかがえる。  また、キャプテンを務めることによって新宮が身につけたのは物の伝え方。「あれ、やっとけよ」と「あれをやっておいてね」ではやらせる行動は同じでも動く側の気分はまったく違ってくる。 「自分よりも実力がある選手が不甲斐なかったりすると、キャプテンだからと怒鳴ったりするのではなく『俺にはできないけど、おまえにはできるんだよ!』という言い方でこちらの意思を伝えるようにしていました。僕が自分だけでなく、チームメイトのために考えてやっているというのが伝わる監督さんだったので、やり甲斐も持てましたし。  監督による野球の講義というのがあって、最終的に1点多く獲ればいいという考えをもとに、頭を使ってそれをやるというところから視野を広くし、観察眼を養うというものでした。その中でこういう場合、人間はこう考えるからこっちはこうするというのを教わることで、キャプテンとしての務めを学べたところもありましたね」  自分だけではなく、周りとそこにいる他者を見て、気持ちも読み取る。仲間の真価を把握し、そこを引き出すための言い回しをするムーブは、純烈に誘われて迷う白川裕二郎に対し「おまえにはおまえの評価があるだろうけど、俺のおまえに対する評価はどうしてくれるんだよ? おまえの評価はもっと高いんだよ」と言った酒井一圭に通ずるところがある。  ひょっとすると、新宮も“血中酒井濃度”が高い人間なのかもしれない。純烈に携わる中で、もともとあった物の考え方や姿勢がブラッシュアップされていったところはあるだろう。 「ネクストバッターサークルで素振りをしている選手は、こういう球をこう打ちたいというイメージで振っているから、それが情報として入ってくる。それでアウトコースに投げたら一、二塁間に来るというのがわかってある程度守備も寄れる。僕は手も短いので、普通の人なら届くゴロが届かない。だから最初から飛んでくると思われる方に寄っておく必要がある。そのための材料をつかみにいった。頭を使わなければ、捕れないんです。  また、自分の次にバッターボックスへ立つ仲間がパワーヒッターで、まっすぐには強いけどカーブに弱かったら、僕がカーブを狙い打ちをすれば『今日の相手はカーブを狙ってくるようだな。じゃあ減らそう』となって、次のバッターにカーブが来る確率も減って打てる確率が高まる。そうやって、自分以外の人間や全体に神経を張り巡らせることは、確実に今の仕事にも生かされています」  高校野球が人間形成の一環だとするならば、それをしっかり全うできた3年間だった。すでにプロは頭になかった新宮だけに、それ以上続けることなく就職するつもりでいたが「大学でできる仲間は一生モノだから」と父から進学を命じられる。  スポーツ推薦でプロ野球選手をあまた輩出する有名大学から声もかかったものの「大学野球のレベルに飛び込んだら4年間球拾いで終わる」と思い、1年先輩が入っていた獨協大学へ。首都大学リーグ2部に属し、一生懸命やりつつもゴリゴリの体育会系ではなく野球を楽しめるカラーだったので、4年間続けられた。  大学卒業時は普通に就職活動し、4社受けて2社から内定を受けるも、いずれも本心でやりたいと思える業種ではなかった。そんな中、高校時代に野球をやっていた父のチームメイトがクラウンレコードの役員にいるということで受けたところ「新宮さんの息子さんならいいよ」とあっさり採用。  定時に出社し、退社する生活は自分に合わないと思ったのと「なんか普通じゃないよな」というミーハーな理由だけで、特に音楽に詳しいというわけではなかった。巷で流れている曲の名前が出てくるほどで、ましてや演歌・歌謡曲のなんたるかなどまったくの門外漢。 「どの部署でもいいので、業務内容はお任せします」と、まずは在学中に週2回、販売促進部におけるアルバイトから始まった。そして卒業後の4月より契約社員となったタイミングで演歌・歌謡曲の宣伝部署へと配属される。その時点で、新宮が所有する耳は「演歌は全部同じに聴こえる」程度の性能だった。  それでも、音楽には詳しくなくともアーティストに興味を持てば仕事として続けていけたし、やり甲斐が持てた。そして……野球漬けの人生から社会人となり、新たな道を歩み出して1年が経とうとしたタイミングで、人生初の転機が訪れる。それは、まったく想定していないものだった。 「新宮、鳥羽一郎のマネジャーをやってくれ」――。
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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