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<純烈物語>仕事が消えていく中、府中駅前で酒井にエネルギーをくれたおばちゃん<第40回>

スケジュール表から早送りのように会場名が消えていく……

 スケジュール表から早送りのように3月以後の会場名が消えていく感覚。次々とここも中止、あそこもなくなったとの報告が山本浩光マネジャーから電話で告げられる。止まらぬキャンセルの中、先が見えた酒井はメンバーとスタッフに「5月31日ぐらいまでは何もできない状況が続くと思ってくれ」と伝えた。この戦いは、それほどの長期戦になると覚悟した。  コンサート以外の仕事も3月中旬まではない。酒井はこの機にやっておけることを考える。一つはこれまでなかなか持てずにいた家族との時間。そしてもう一つは忙しくて会えなかった人たちとの再会。  午前中は家族と過ごし、夕方になると純烈に時間を追われ不義理を働いていた人たちと食事をともにした。その中で浮かんでくる考え方や別角度からの物の見方を活動再開後に生かせるかもしれない。一般的に考えれば、365日ほとんど稼働してきた酒井に訪れた休息となるはずだったが……。 「普段の自分と、純烈としての自分のスイッチの切り替えがうまくできず、熱は上がらないんだけど鼻と喉をやられて。午前中、買い物にはいくけどあとは薬を飲んでずっと寝ていて、夜になったらマスクをして知り合いと会いにいくという日々でした。花粉症なんだろうけど、ここまでヒドくなったのは初めてで。  考えてみれば、純烈をスタートさせて7年ほどは常に体調不良で、忙しくなってからの方が調子がいいんです。自分でブレーキを踏めないというか、ずっと仕事があると休みなく元気で、休みがあると体調を崩すから常に仕事を入れているという。当然、それだとアウトプットの毎日だから疲弊はするんだけど、大きく体調を崩すことはない」  3月10日に純烈のメンバーは揃って人間ドックを受けた。そこでは肺活量が前年より上がっており、肺年齢としてはマイナス9歳と診断された。健康状態は良好なはずなのに、緊張の糸がいったん途切れたため体に影響を及ぼしたのだろう。  純烈としての酒井一圭をスイッチオフすると、明かりに照らされている自分と芸能界を反対側から見ることになる。これは誰かがやっている方法だなと一つずつ塗り潰していくと、残った道筋は非効率なものだけ。  それが笑ってしまうほど見事なまでに自分たちが歩いてきた“純烈獣道”。野生の動物も避けて通るような荒れた道の像を頭に浮かべ、酒井は「再開できたらまたここを歩くの? なんで、俺らはこんなことをやっていたんだよ!」となった。  そんなある日、府中の自宅から甲州街道を渡り駅へ向かうべく信号待ちしていると、純烈ファンのおばちゃんが「もうさ、これ見てよ!」と言ってきた。トントンと肩を叩くでもなく、名前で呼び止めるのでもなく。
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府中で酒井を呼び止めた、ひとりのおばちゃん
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