コロナ影響で中断のJリーグ…FC琉球・小野伸二40歳、今だからこそ伝えたいこと
世界中で猛威をふるっているコロナウイルスのせいで、すべてのイベントが自粛の中、Jリーグもいまだ開幕のめどが立ってない。年始からトレーニングに励んでいたFC琉球。昨年、8月に移籍したレジェンド小野伸二が今だから語ることとは何か……。
こんにちは。FC琉球の小野伸二です。突然ですが、今回は5回にわたって、僕が現在に至るまで、1人のサッカー選手として何を考え、どうやって生きてきたかを少し語ってみたいと思います。
――FC琉球で2年目のシーズンを迎え、手応えを感じながら迎えた開幕戦だったが……。
Jリーグが開幕して、僕らはアウェイで千葉と対戦したのですが、1−0で敗れてしまいました。ポゼッションを意識してやろうとみんなで話していて、それも試合ではできていたのですが、ただ結果として勝ちがつかなかったのは残念でした。そんな中、コロナウイルスの影響で中断してしまいました。でも、こればっかりは仕方がない。僕らもそうですけど見に来てくれるお客さんの安全も大事だと思いますから。
今回、連載するにあたっていろいろと考えました。18歳でプロ入りし、海外のクラブチームを含めて、7つのチームを渡り歩き、昨年8月から沖縄のFC琉球に所属しています。そして、気がつけば僕も40歳になりました。20代の選手と一緒に練習して試合に出ると、「俺、もうおっさんだな」って思うこともあります。でも、それは別に悲観的な感じではないんです。年齢は40歳だけどサッカーが好きだという気持ちはずっと変わらないですから。
――鳴り物入りで浦和レッズに入団、その後も海外の名門クラブや国内のクラブを渡り歩いてきた小野伸二。彼にとってのサッカーとはどんな存在なのだろうか。
会社員の方なら職業欄に「会社員」と書きますが、僕の場合、職業欄には「プロサッカー選手」と書くことになります。でも、僕にとってサッカーは仕事だとは思っていなくて、サッカーはサッカーという位置づけなんです。サッカーが好きで続けていたら仕事になっていた……という感じですね。でも、職業は何?って聞かれたら、サッカーになるんですよね(笑)。
自分の好きなことをやってお金がもらえていることって、すごく恵まれていることなんだなって。ただ、それが当たり前とは思ってはいないんです。これだけ長く選手として続けてこられたのは、それだけの体がないとできない。だから親からいただいた体はありがたいなって、思っています。
――現在、長期の中断に入ってしまったJリーグだが、小野伸二は改めて“開幕”に向けて調整を続けているという。
千葉戦は負けたけど手応えがありました。新しく入った選手もいいものを持ってますし、チームも質が高くなっています。こうした状況でも、練習をする環境を与えてもらい、沖縄県の方や関係者の方にはありがたく感じています。中断期間明けの“開幕戦”は注目してほしいですね。もちろん、この連載も(笑)。
構成/松永多佳倫 撮影/赤松洋太
’79年、静岡県沼津市出身。’93年にU-16日本代表に選出され、その後も各年代の代表として活躍。清水商業卒業後は浦和レッズに入団。その後、オランダ、ドイツ、オーストラリアなどのチームを渡り歩き、昨年8月に北海道コンサドーレ札幌からFC琉球へ移籍した
今だからこそ伝えたいこと
小野伸二にとってサッカーとは
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