更新日:2023年04月27日 10:22
スポーツ

J2のFC琉球へと電撃移籍を果たした小野伸二。移籍の真相、引退の可能性など、すべてを語った

 今年8月、北海道コンサドーレ札幌からJ2のFC琉球へと電撃移籍を果たした小野伸二。ホームグラウンドを持たない沖縄のクラブで、自らユニフォームを洗濯しなければならないといった厳しい環境下で不惑の年を迎えた。黄金世代を牽引し、欧州でも長らく輝き続けた男はなぜJ2を新天地に選んだのか。電撃移籍の真相から引退の可能性まで、そのすべてを沖縄の地で語った。 小野伸二

洗濯してもらえるような環境にしなきゃいけない

――40歳を迎えた今シーズン、北海道から沖縄へとシーズン途中での電撃移籍に驚いたファンは少なくありません。FC琉球移籍はどのような経緯で決まったのでしょうか。 小野:オファーが来たのが、たまたま最南端の沖縄だったということですね。今の自分にとって“話が来たこと”に意味があるんだと感じています。FC琉球はJ3からJ2へ上がってきて、今年はJ2に残留するというのが大きな目標です。自分が今までやってきた経験などを若い選手たちに伝えることも、自分に求められる役目だと思っています。 ――そのFC琉球は、J2昇格、そして開幕からは4連勝、小野選手の加入もあり盛り上がっています。 小野:沖縄をサッカーで盛り上げることも僕の役目じゃないかと。イベントにも参加したりして、もっともっと沖縄のサッカー人気を広げていければと思いますね。 ――小野さん自身の目標はあるのでしょうか。 小野:僕自身、沖縄に来て間もないのでJ2残留を目標にとにかく結果を出さなきゃいけない。今シーズンも精いっぱいやりますが、僕自身、本当の勝負は来年だと思ってます。 ――正直、40歳というのは体力的な衰えを感じてくる年齢だと思います。 小野:僕自身は、別に40歳だろうと45歳だろうとどうでもいいんです。だって、カズさんもまだやってるじゃないですか。僕らが40歳でどうのこうの言っている場合じゃないですよ。体力が……なんて考えず、もっともっとやれるということを証明していきたいなと。 ――北海道コンサドーレ札幌からホームグラウンドを持たないFC琉球に移籍して環境や待遇面でも大きく違う部分があると思います。戸惑いはありましたか。 小野:正直、今の環境は、今まで経験してきたところと比べるとひどいと言えばひどい(笑)。僕なんか恵まれたところから来たので、余計にギャップを感じてしまうけど、もともといる選手たちからすると、いろんな苦労を経て今があるのだから、それを「ひどい」という一言では片づけられない。 ――練習場も日替わり、ユニフォームの洗濯もご自身でやらなければいけないと聞きます。 小野:話には聞いていましたが、実際にやってみると最初は大変でした。でも、新鮮というか、新しい発見もあって楽しんでやっていますし、こういう経験があるから上を目指せるんじゃないかとも思います。専用のクラブハウスを持って、洗濯してもらえるような、プレーだけに集中できる環境に早くしなきゃいけない。そのためには強くならなきゃいけない。そして、このFC琉球でプレーしてよかった、携わってよかったと思えるチームになればいいんじゃないかと思います。
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日の丸を一緒に背負った同期たちの存在
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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