ブルゾンちえみが電撃退所。ブルゾン改め“藤原史織”の軌跡をたどる
80年代チックなメイクと、“デキる女”に扮して上から目線でアドバイスをするネタで一世を風靡したブルゾンちえみが、3月31日にワタナベエンターテインメントを退社。4月1日からは、本名の「藤原史織」名義で再スタートを切った。
小学校の教師をしていたという父親に憧れ、かつては教員を目指していた藤原だったが、島根大学の教育学部を3年で中退。その後、エンターテイメントに携わりたいと考えた藤原は、地元である岡山の劇団に一時期だけ所属し、退団後は大阪で歌とダンスを習う日々を送っていたそうだ。
そんななか、大阪でのレッスン仲間がワタナベエンターテイメントカレッジ(プロ育成スクール)を受験すると聞き、藤原も上京を決意。同校のバラエティタレントコースに入学した。
デビュー前、芸名をどうするか悩んでいたという藤原は、お笑いコンビ「はなしょー」の杵渕はなに、初対面にも関わらず相談。ブルゾンちえみと命名されたが、完全にその場のノリだったらしい。
デビューから1年後の2016年10月、藤原はワタナベコメディスクールの卒業を間近に控えた、ひとつ下のお笑いコンビ「ブリリアン」(コージ&ダイキ)に声をかける。コージいわく、藤原にはやりたいネタがあったそうで、それは“複数の男をはべらせる”というもの。ともに身長182cmのコージとダイキは、シュッとしているという理由で仲間に引き入れられ、これが「ブルゾンちえみ with B」の誕生につながった。
大ブレイクを果たした藤原は、2017年の年始から11月までに、175ものテレビ番組に出演(ニホンモニター調べ)。バラエティ番組だけにとどまらず、ドラマ『人は見た目が100パーセント』(フジテレビ系)では、メインキャストとして女優デビューまで果たしている。
4月からはイタリアへ留学する予定だったそうだが、新型コロナウイルスの影響で延期となってしまい、現在はYouTubeチャンネルを開設して動画を投稿するなど、日本での活動を続けている。 今回は、そんな藤原の芸能界デビュー前から、ブルゾンちえみ時代の活躍を振り返っていこう。
教師志望からタレント、お笑い芸人への転向
講師に「バラエティ番組に出演したい」とアピールしたところ、お笑い芸人になることを勧められた藤原。これがきっかけでお笑い芸人へ転向し、2015年10月の卒業後に、芸能界デビューすることになった。
ブルゾンちえみ with Bの誕生、そしてブレイク
そして2017年、ブルゾンちえみ with Bにとって最大の転機が訪れる。1月1日に放送された『ぐるナイ!おもしろ荘 若手にチャンスを頂戴今年も誰か売れてSP』(日本テレビ系)でネタを披露し、見事に優勝してみせたのだ。
元日から大晦日まで駆け抜けた2017年
毎年恒例のチャリティー番組『24時間テレビ40 愛は地球を救う』(日本テレビ系)では、マラソンランナーに抜擢。90kmのコースを見事に完走したにも関わらず、あの特徴的なメイクが最後まで落ちなかったことでも話題を呼んだ。 大晦日には『第68回NHK紅白歌合戦』に出演し、ブルゾンちえみ with Bのネタで使用している楽曲『Dirty Work』を歌うオースティン・マホーンと共演。オースティンの生歌をバックに、紅白仕様にアレンジしたネタをパフォーマンスした。
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