カーライフ

トヨタ・コロナはいつなくなった? 一番輝いていたのは3代目…

カーマニアのコロナの思い出

 かつてコロナというクルマがあったことはご存じでしょうか? 販売台数日本一に輝いたこともあるトヨタのセダンです。もしかしたら、みなさんの家にもあったかもしれません。そういえば、コロナっていつの間にか消えたなあ……。新型コロナウイルスにも早く消えてほしいという思いを込めて、コロナというクルマの誕生から消滅までを振り返りました。
オートクラブ

TOYOTA CORONA

永福ランプ(清水草一)=文 Text by Shimizu Souichi

新型コロナウイルスも早くクルマのコロナみたいに無害なものになりますように

 世間ではもっぱら「コロナ」と呼ばれている、新型コロナウイルス感染症。コロナビールは一時生産停止となりましたが、カーマニア的には、コロナと言えばクルマ!「新型コロナ」という見出しを見れば、一瞬「コロナが復活するのか!?」と思ってしまいます。  コロナが超メジャーなワードになった今こそ、カーマニアとして、トヨタ・コロナを振り返らないわけにはいきますまい。  トヨタ・コロナは’57年に生まれ、’80年代までは、大変ポピュラーなセダンでした。特に’60年代の2代目・3代目は、日産ブルーバードと「BC戦争」と呼ばれた激しい販売合戦を繰り広げ、一時は販売台数ナンバー1の座に輝きました!  なにを隠そうこの私、生まれて初めて乗ったクルマは2代目コロナ。私が3歳のころ、父が自動車免許を取り、最初に買ったのが中古のコロナだったのです。唯一ある当時の写真には、シャッターを押した当人(たぶん父)は私だけを狙ったらしく、クルマも姉も下半身しか写ってないのが泣けます。  で、コロナがどんなクルマだったかというと、ほとんど記憶にないものの、「とてもフツーだった」という、かすかな印象は残っています。あと三角窓。当時のクルマにはクーラーがなかったので、三角窓を開けて車内に風を取り入れるようになっておりました。  当時、私が住んでいた練馬区には、まだそこかしこに未舗装路があり、雨が降るとでっかい水たまりができたものです。まだ下水道もなく、家庭排水はドブに流してました。  コロナが一番輝いていたのは、’65年から’70年までの高度成長最盛期に生産された3代目でしょう。斜めに傾斜したいわゆる「スラントノーズ」は、当時とてもスタイリッシュで、ガキンチョだった私にもカッコよく見えました。販売台数日本一だったのも、このころです。  その後もコロナは、トヨタの中核モデルとしてしっかり売れ続けましたが、デザインも中身もほとんどまったく特徴のない、当時の典型的日本人みたいなモデルが続き、徐々に存在感を失っていきました。  カーマニア的には、’82年登場の7代目コロナに日本初のツインカムターボエンジンが積まれたのが心に刻まれております。当時の青年たちは、「ツインカム」や「ターボ」という単語に強烈な憧れを抱いておりましたが、その両方がいっぺんに突っ込まれたのはセリカ、カリーナとともにコロナが最初! それだけで大コーフン! それなのに3車種とも実に不格好! 特にコロナセダンのあまりにも平凡なデザインには、カーマニアとして怒りすら感じました。  あまりにも平凡であるが故か、コロナの販売台数は下降線を続け、’96年で国内販売が終了。最後の10代目コロナのCMは、中村雅俊をキャラクターに「コロナ氏登場」というキャッチフレーズでしたが、今や不用意にそんなこと(「俺コロナ!」等)を口走れば、通報されて威力業務妨害で逮捕されてしまう可能性もあります。涙が出ます。  コロナは’96年に消滅し、続くモデルは「コロナプレミオ」に。さらにその次はコロナという名称が完全に消えて「プレミオ」になったのは、コロナという車名の古臭いイメージを捨てるため。今でもコロナが大々的に売られていたら、オーナーに対する嫌がらせや風評被害もあったでしょうから、不幸中の幸いと申しましょうか。  ところで、コロナの血脈を継ぐモデル「プレミオ」は、まだ生きております! これがまた、かつてのコロナから1ミリもブレてない、ものすごく平凡なオッサンセダン! じゃなんで車名変えたんだろ……。オーナーの平均年齢は70歳を軽く超えるという、日本でもトップクラスの超高齢化モデル! プレミオを見たらおじいさんと思え! その割に暴走事故が少ないのは、単に売れてないからでしょうか。再び涙。
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初代からプレミオまでコロナの系譜
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1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高速の謎』『高速道路の謎』などの著作で道路交通ジャーナリストとしても活動中

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