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<純烈物語>10年目の“ロクテンニーサン” 初めての無観客ライブで目撃した物語<第52回>

大挙してつめかけたマスコミの前で、普段通りに汗を流す姿を見せる

純烈大江戸無観客座席 休業中の大江戸温泉物語の入り口へ、マスコミ陣による長蛇の列ができた。14時半からの受付を済ませると、まずはムービー(映像カメラ)が会場となる大広間「中村座」に入る。  座敷前方には左右に5席ずつ10列分並べられたイスが、今や遅しと開演を待っている。マスコミ陣はその後方に陣取る形だ。続いてスチール(写真)と記者が入場。ザっと見て80人ほどのメディアが無観客ライブに集まった。  前々日にスポーツニッポン紙が元メンバー・友井雄亮氏の再起を報じたこともあり、それを受けて多くのマスコミが詰めかけたという見方もあった。しかし、当日の夕方過ぎから続々とアップされたウェブ記事の見出しは「純烈、デビュー記念無観客ライブで再始動」と、どれもアーティストサイドの主旨に沿ったものだった。  それは、観客不在の中でもこれまでと同じようにハッピーな空間を提供した純烈の姿勢が伝わった証でもあった。仮にスキャンダルをほじくり返そうと思ったとしても、あの楽し気な雰囲気に包まれたらそんな気も失せてしまう。  純烈のライブには、そんな魔力がある。いや、魔性と言ったほうがより適切かもしれない。  じっさい、横10×縦10脚で並ぶ座椅子の後ろに体育座りした記者団の気持ちは、前のめりになっていた。報じる立場でありながら、久々に純烈の姿を拝めるとありワクワクしているのだ。  収録開始予定時間の15時になる直前、スタッフから「エアコンを切ってください」との指示が飛んだ。たとえ無観客であっても普段通りに汗を流し、その姿を10年目の純烈として残しておきたいという酒井の意向によるものだった。  ブランクを考えれば、冷房の効いた会場の方がやりやすい。ましてや今の4人は、1曲歌っただけでゼーゼー言って翌日には筋肉痛にのたうち回るおっさんたちである。酒井の口から出た「『涙の銀座線』モード」の言葉が頭をよぎった。  10年前の6月23日も、彼らは汗水垂らしながら自分たちの存在を一人でも多くの人に憶えてもらうべく、全力で歌っていたんだろうな――銀座駅構内コンコースの銀座オアシスにおけるデビュー記念イベントの情景が、見たこともないのに浮かんできた。  世の中の誰も純烈の存在を知らなかったあの日、集まったのは戦隊ヒーロー時代から応援してくれたファンだった。自己紹介を兼ねて酒井が、友井が、小田井涼平が変身ポーズを見せるとヤンヤの歓声となったがその後、歌い始めるや一転して「シーン」となった。  今、同じような“シーン”が目の前に広がっている。でも、姿なき純子と烈男の皆さんの思いで満席となっていた。  静寂を破るかのように「それでは収録スタートです。よろしくお願いします!」というスタッフの声が響く。ステージの幕が開くと、そこには昨年末の紅白歌合戦へ出場したさいに着た衣装で身を包んだ4人が立っていた。10年目の“ロクテンニーサン”が始まった――。 撮影/ヤナガワゴーッ!
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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