更新日:2020年09月08日 16:24
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「書く資格」――『すべて忘れてしまうから』書評・酒井若菜

「ほんとう」から遠ざかりたいときに読みたくなる作品

 ダサいダサいとあんまり書くと批判しているように感じるかもしれないが、作家としてはこれは私なりの猛烈な肯定である。  かっこつけようとしてるけど、ちっともかっこついてない。そして記憶を改ざんする。私はそのダサさこそが燃え殻さんの面白さだと思っている。  この人は、「ほんとう」を避けてしまう人なのだ。空想や想像ではなく、妄想の人なのだ。思い出というものは本来、記憶を経て形成、定着されていくものなのだろうが、燃え殻さんはそもそも記憶できるほど人の話を聞いていない。「たぶんそんなようなことを言ってた」の雰囲気を「思い出」にするまでの時間が圧倒的に短いのだろう。  そもそも人の話を聞かず、常に気もそぞろな燃え殻さんが、回想で「ほんとう」の話を書くことなど不可能なのである。  くれぐれも、批判ではない。私は、そこが面白いと繰り返している。  たぶん本当に、辛い人生だったのだと思う。そしてそれを「ほんとう」のこととして乗り越えたことがなくて、今でも辛い人生の只中なのだと思う。それはつまり「書く資格」がある、ということだ。燃え殻さんの本は、「ほんとう」から遠ざかりたいときに読みたくなる作品でもあるし、「ほんとう」を乗り越え終わった人はきっと、燃え殻さんの本を読みたいという気持ちがそもそも芽生えないような気がする。辛さの只中にいる読者にとって、燃え殻さんほど救いになる作家はいないだろう。  それでも私は、燃え殻さんの人柄も文章も、どうしても好きになれない。今後も何ひとつ、同じ記憶を同じ思い出として共有することはできないと思っている。  そう思っていたのだが、ある日、うっかり私たちの共通点を見つけてしまった。
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辛さの只中にいる人の救いになってほしい
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燃え殻『すべて忘れてしまうから』

ベストセラー作家・燃え殻による、待望の第2作!
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