最後の最後に発動した「Rの呪い」
久しぶりの取材は本当に充実したものだった。今思えば、ここで素直に帰っていれば良かった。しかしながら我々は、欲を出してしまった。「最後に気になる店に入って、もう一杯だけ飲んで帰りません? きっとこの流れなら、いい店と出会えるはずですよ」誰からともなくそんなことを言いあい、未練がましく街を歩きはじめる。のちに「あんな」思いをすることになるとは知らずに……。
不穏な看板に惹かれ、上がってみた4階は完全なる「闇」だった
遠近感の狂う路地
変わった立地にある街中華も、「ナイトスポット恋物語」もいい
が、決め手にかける気がして、30分は歩き回っただろうか。やがて見つけた1軒の酒場が我々には楽園に見えた。楽園の頭文字をとって、仮に「R」と呼ぶことにしよう。全員一致で、「ここしかない!」と確信した。
愛想のいい老夫婦ふたりが営む店。客は我々以外にいない。店内は雑多で、一見するとなんだかわからないメニューも多く、完全に好きなタイプの店だ。いい予感しかしない。
歩き回って少し疲れていたからか、全員揃って生ビールを注文。さっそく乾杯し、勢いよく飲む。
まさかこれが、この日最後の笑顔になるとは……
井野氏が「あっ……」と言った。清野氏が、無言でドスンとジョッキを置いた。皆が何が言いたいかはわかっている。サーバーの洗浄がされていないのだろう、生ビールが、尋常じゃないくらい「酸っぱい」のだ。
もちろん、これ以上飲めるわけがない
幸せ絶頂から突き落とされたような気分になり、全員のテンションが一気にダウン。その日は解散することに。駅に向かいながらも、つい愚痴がこぼれる。
清野:人生ワーストビールが、まさかあのタイミングとは……。しかしパリッコさんの落胆っぷり、なかなか良かったですよ。無言のまま目が合いましたもんね。
パリ:まずいビールの中でも相当でしたよね、あれは。とても2口目が喉を通らない。しかも、こっちが気を使って「あ~、ちょっと今日は飲みすぎちゃったな。すいません残しちゃって」なんて、フォローまで入れちゃって。噛み合ってた歯車が、カチッと外れた音がしました。
清野:楽しい気持ちのまま、潔く切り上げて帰ることの大切さを学びましたよ。
しかし、呪いはそれだけでは終わらなかった。ここからが本当の地獄。落胆した我々を乗せた電車が、府中駅で突然停車。なんと、この先をゆく電車で人身事故があったらしく、ここより先には進めないそうだ。
駅員による「すぐに電車を降りてくださ~い!」の指示に大人しく従うと、瞬く間に暗転。
呆然とするしかなかった
時刻はすでに終電に近い。そして、今夜はもう電車が動かないというアナウンスだけが虚しく流れる。
するとさすが数々のトラブルを超えてきた清野氏。とにかくこの見知らぬ街で夜を明かすことだけは避けたいと、即座にスマホで検索を始める。するとどうやら、ここから歩いて1kmほどのJR府中本町駅まで行けば、まだ帰れる可能性が残っているらしい。
「みんなで走りましょう!」
清野氏の言葉が我々を正気に戻す。
駅を出ると、1日じゅう穏やかに降ったりやんだりしていた雨が本降りになっていた
心臓を圧迫されるような不安のなか、府中本町へ急ぐ。そして飛び乗った電車は、おそろしいことに、我々が帰宅できる最後の1本だった。
命からがら迫りくる魔の手から逃げきった気分。安堵感が我々を包む。1軒目の居酒屋で大将のジョークを聞いていた頃が遠い昔のようだ。
久しぶりの街探索で我々を待っていたもの。それは、大いなる喜び、そして、油断していると取りこまれてしまいかねない「闇」の両方だった。だからこそ、街は常にエキサイティングで、やめられない。一刻も早く、気軽に街を探索し、ヘラヘラと酔っぱらえる世の中が戻ってきてほしいと、あらためて思わされた。
「最後の一軒、行かない勇気」(清野)
<TEXT/パリッコ イラスト/清野とおる>
1978年東京生まれ。酒場ライター。著書に『酒場っ子』『つつまし酒』『天国酒場』など。ライター・スズキナオとのユニット「酒の穴」としても活動中。X(旧ツイッター):
@paricco