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<純烈物語>「七転八起だからここに集まる」メンバーが頼りにする焼き肉店は焼失を乗り越えた<第63回>

『この人だったら大丈夫だ』がつながった

 川崎では4年半、店を続けた。本人たちはそこで一生懸命働きなんの不満もなかったのだが、時子の親戚が「いつまで仮店舗、仮アパート住まいでやっているの? ちゃんと自分の土地を持って自分たちの店をやりなさい」と言ってきた。ここでもそんなお金はないとなったが、今度は姉夫婦が「章さんならOKよ」と資金援助を買って出た。 「初めて出逢った時に『この人だったら大丈夫だ』と思ったのが、みんなつながっていた。そうやって、人は動くものなんだと思ったわ」
女将さん夫婦

時子さん(左)と章さん

 この頃、時子のお腹には赤ちゃんがいた。子育てしながら商売をやるならば、畳一枚でもいいから子どもがいられて、目を離さずに働けるような部屋がある店を探す必要があった。なかなか条件に合う物件は見つからなかったが、ようやく掘り当てたのが相模大野だった。  繁華街ではなかったものの、子育てをするにはその方がいいと思った。加えて、章さんに淵野辺周辺の土地勘があり、一目見て「ここにしよう」となった。  近くに駅やビルがあるからではなく、もっと広い範囲でお客呼べる場所という読み。地元の人たちでさえ最初は「なんでこんな商店街でもない引っ込んだところに来たの?」といぶかしげだった。唐澤家が移ってくる2年ほど前、相模大野は町田に客足をごっそりと持っていかれていた。 「再開発に参加しなかったことで、それまでは商店街でも行き交う人同士がぶつかるほどに集まっていたのが一気に下火になっちゃったって聞いたわ。その端っこにあたしたちが来たものだから『よほどお金がないのか、それとも自信があるからなのか』と言われて、自信があると答えました。  でもね、もちろんあたしたちの力だけでこうなったんじゃないの。お店作りをしている段階から応援してくれる人もいたし、ビラ配りをしていたら『お店にいくから』と言って、本当に足を運んでくれた人たちもいっぱいいてね」  1979年6月29日……今でいうところの「ニクの日」なのは、狙ったわけではない。この日に契約を結び、そして同日に長女が産声をあげたのだった。

大火から純烈とのハッピーな関係まで

 2週間後には相模大野へ越してきたが、合羽橋などへいっては必要なものを揃えるのに2週間かかり、8月オープン。子育てと店がほぼ同じ時期に始まった。  子どもができてわかったことがある。それは、親の方こそがものすごいパワーをもらえるという事実だ。独り身の自分だったらここまで頑張れないと思うのに、いくらでも働けた。  小さい子の面倒を見ながら明るく、元気に振る舞うおかみさんは口コミで評判となり、八起の客は次第に増えていった。再開発の波が駅前にまで押し寄せ、2012年には大型施設のボーノ相模大野が建設された。  八起は、この大型施設と車道一本をはさんで向かい合っており、その一帯は開店当時の風情を残してタイムスリップしたかのよう。そして、街の人々による無言の信念が漂っている気がした。 「食べ物の商売は、場所じゃない。うまいものは、どの土地にいってもうまい。どこであろうとお客様にそこまで来ていただき、おいしいと言っていただけることで成り立つ」  相模大野へ決める時、章さんはそう言った。隣に大型施設があっても、繁華街でなくとも、商店街の端っこにあろうとも、八起は背伸びすることなく人と人がふれあう場であるのを忘れずに41年間やってきた。そしてその情景を、地元の人たちもつぶさに見ていた。  あの日、純烈結成前の酒井と逢わなかったとしても、今と同じように愛される店となっていたはず。確かに、おかみさんとおいしい焼き肉から元気と活力をもらえば、八起きどころか無限に立ち上がれる。 「6人でお店に来てくれた時は『キサス・キサス東京』を出したあとで(レコード会社の契約を打ち切られて)すごく大変だった時だったと記憶しているんだけど、酒井さんが『七転び八起きだから、ここに来ればいいと思って全員で集まった』って言っていたわ。おいしいものを楽しく食べてワーワーやれば、これからも元気にやっていこうって気持ちになると思うの。そこまで考えてあの時、酒井さんはウチに来てくれたんだと思う」  純白さに満ちた夫婦の出逢いから大火という黒を乗り越え、そしてその先にあった純烈とのハッピーな関係――相模大野の片隅で、その物語は今も綴られ続けている。
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売
純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。
白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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焼肉八起(やきにくやおき)
神奈川県相模原市南区相模大野6-19-25
http://www.yakiniku-yaoki.com/
AM11:00~PM1:00
PM3:00~PM10:30
L.O.)PM10:00 ※日曜日はPM.9:30
休=月・火曜
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