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<純烈物語>相模大野の焼き肉店名物”純烈タイム”は落語と大黒摩季がつくった<第60回>

<第60回>「八起」の“純烈タイム”源流は落語と大黒摩季

 当連載を続ける中で、一つの証言によって新たな記憶を呼び起こされるのは常である。前回、酒井一圭が初めて「焼肉八起」にいった時のことを書いたところ、じつは2回目だった事実が本人の頭に蘇ってきた。 <これを読んで分かったことがある。1回目の来店はロフト時代の同僚の斎藤さんに連れて行ってもらい、2回目がここに記された高木さんたちとの美食の会で俺が紹介する番で八起にした。3回目、骨折だ>(酒井一圭twitterより)  こうして新たな発言により、事実がブラッシュアップされていく過程も純烈物語の醍醐味と思っていただけたらと思う。さて、メンバー&スタッフにかぎらず純子と烈男の皆さんにもこよなく愛される八起だが、その最大の理由がおかみさんである唐澤時子さんの人柄にあるのは言うまでもない。
八起女将さん2

「焼肉八起」のおかみさん唐澤時子さん

 おかみさんの呼びかけだからこそ、店の名物“純烈タイム”にも乗れる。焼き肉を食していると歌詞カードと模造紙で作ったメガホンを配られ、流れてきた曲を一緒に歌う。そんなイベントを毎日のように繰り広げる焼き肉店は、日本広しといえどもここだけだろう。  純烈タイムの源流には、落語があった。相模大野に腰を据えた以後は店のローンを返済するべく年休2日(週休も月休でもない)で働きまくっていた。また、開店と同時に子育てが始まり2人目、3人目と家族も増えていった。  そんなランニングワイルドな日々もオープン7年目でようやく落ち着いてきた頃だった。店に来ていた落語家から「噺(はなし)をするところないんですよ」と聞かされた。  当時の日本は、80年代のバブル期を控えたところ。世の中が秒刻みで動いているようにせわしく、その流れから昔ながらの大衆娯楽が取り残されてしまう危惧に直面していた。  おかみさんは小学生時代、近所の電気店にある街頭テレビをよく見にいった。そこで流されていた落語が「時そば」だった。 「長野といったらお蕎麦じゃない。毎日のように食べているものに、なんで“とき”ってつくの?と思いながら見ていたんだけど、あまりに面白いんで家に戻ると、こたつの上に座って家族の前で時そばを披露したという。それがあたしの落語との出逢いだったの。  ウチの旦那も親がラジオを聴いていて、それが耳に入ってきていたから落語の詳しいことはわかんないけど面白い話であるのは知っていた。だから、噺をするところがないっていうんならウチでやったらと。あたしは、自分のところで街頭テレビをやりたかったのね。テレビじゃないんだけどさ」  子どもの頃に刻み込まれたセピア色の情景の中へ落語があったことから、おかみさんは店内での寄席を思いついた。そこには「時代のスピードに合わなくても、続けていればいつか時代は元に戻る。どんな時代になろうと、面白いものは変わらない」との信念があった。  もう一つ、落語に対する罪ほろぼしとの思いもこめられていた。以前、人と会うために若竹(円楽一門会の寄席)の事務所を訪れたことがあった。 「子どもも連れていったんだけど、廊下とか走り回るじゃない。受付の人に『お静かにお願いします』って言われちゃって。落語も、途中で会場を出なければならなくて最後まで聞けず、申し訳ないことをしたっていう気持ちがずっと残っていたの」  現在もこの「八起寄席」は続いているが(偶数月の第3月曜日)、店の定休日を返上しての開催。つまり、焼き肉を食べる場とは一線を画してきた。NHKのプロデューサーであるお客さんからもらった「八起さんが商売のためにやるんだったらおやめなさい。寄席をやるならキッチリ日時と時間帯を決めて、お店とはまったく別のモノとして始めた方がいい」とのアドバイスに従ったものだ。  また、ほかのお客さんにも「焼き肉を食べながらはダメ! 噺が面白くて肉がこげちゃうかもしれないじゃない」と言われた。商売に絡めなかったからこそ、続けてこられたとおかみさんは言う。
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焼き肉店がつくった手作り寄席
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焼肉八起(やきにくやおき)
神奈川県相模原市南区相模大野6-19-25
http://www.yakiniku-yaoki.com/
AM11:00~PM1:00
PM3:00~PM10:30
L.O.)PM10:00 ※日曜日はPM.9:30
休=月・火曜
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