お金

「死んだほうがいい」と他人から言われる人生を生きる27歳ギャンブル狂の闇

だらしない生活をした因果が攻めてくる

 だが、何を隠そう、いや全く隠れていないのだが、ゴミ本人が僕である。僕の人生は今もなお続いているし、こんな人生を送っている人間は悲しいことに大量にいる。今も書いていて何が悲しくて、と思っていた。僕は「こっち側」の人間である。だらしない生活をした結果自分に返ってきた汚泥を身体中につけたまま、社会に頭を出して図々しくもこの汚い腕でチャンスを掴もうとしている。  金がなければ死にたくなるのはもう当然と言っていいだろう。富を軸にしていなくとも、周囲と自分からの重圧に押し潰されてしまいそうになる。たった一度の大きな過ちも、何かに見つかってしまうまで逃げ続けた罪も、貧困の上では全部同じく心にのしかかる。  僕も何度も所持金0の場面を繰り返し、死にたい気持ちになっていた。だが死んでは終わりなのだ。命は命以外と等価交換できない。まして見栄や自責の念なんてものはあまりにも安すぎて、どれだけ乗せても天秤は命の側を持ち上げはしないだろう。  とはいえその「価値あるもの」をどう扱うかは自由なので、僕についてのみ書こうと思う。僕自身、金の価値を軽んじすぎている部分があるのでそれは認めざるを得ない。  1ヶ月で400万の借金を作ってから数ヶ月後、毎月の収入が突然13万円減ってしまった年末年始に一番死にたくなったが、死ななかった。もったいないと思ったからだ。金がなくても到達できる未来はあるし、まだ知らないものも食べてないものも行ったことのない場所もたくさんあったからだ。知への欲求が生に直結すると感じた瞬間だ。  人の善悪は他人が決めるかもしれないが、人の幸不幸は他人には決められない。 「そんな惨めな人生ならいっそ死んだ方がいい」 と何度言われてきただろう。その言葉から逃げて逃げて逃げて現実逃避のその先に、僕は自分の幸福を自分で決めることにした。図々しいメンタルを持った多重債務者の誕生である。どれだけ見た目が惨めでも、僕は晴れた日には嬉しくなるし、いつもと違う帰り道が楽しいし、雨が降る直前に干した洗濯物を取り込めればガッツポーズをする。この全部がタダだ。  もちろん借りた金は返さなければならない。でもそれは返済が完了するまで一度も笑うなということではない。どれだけ予定を詰めて働いていたとしても休みの瞬間は訪れる。そんな時に金をかけずに喜んでもいいだろう。  僕が借金と向き合った時に重かったのは四六時中追いかけられる義務感と閉塞感だった。「もっと頑張れるだろ」がキツかった。  一度過ちを犯した人間たちは誰からも信用されないが、精一杯やろうとしている人はいるし、限界まで頑張る瞬間はある。社会の中でいつでも申し訳なさそうな顔をしているのが似合うからそうしているのはわかるが、仕事場に行くまでの間くらい好きに笑ってもいい。  誰に伝わるかもわからないが、書いてしまいたかった。僕はそんな「義理を通したい」人たちより少しだらしなくて、もう埃が出ないくらい叩かれて、それでも死ぬことはないと決めた。これが正しい道かはわからないが、たまに後ろでボロカスに言われている僕を反面教師にしながら共に頑張ろうではないか。  PCを閉じる。twitterに、昨日届いた督促状の写真に大袈裟なリアクションを取ったツイートをする。  結構伸びてるな。ははは、また死ねって言われちゃった。  顔を洗うために洗面台に向かう。生活リズムが完全に崩れて徹夜になってしまった。太陽は出てるけど、今日は仕事が無いので夕方まで寝てしまおう。  鏡を見ると、死ねと言われて督促状を握り締めたまま笑っているバケモノがいた。  そう。僕が見つけた幸せは……。 〈文・犬〉
フィリピンのカジノで1万円が700万円になった経験からカジノにドはまり。その後仕事を辞めて、全財産をかけてカジノに乗り込んだが、そこで大負け。全財産を失い借金まみれに。その後は職を転々としつつ、総額500万円にもなる借金を返す日々。Twitter、noteでカジノですべてを失った経験や、日々のギャンブル遊びについて情報を発信している。 Twitter→@slave_of_girls note→ギャンブル依存症 Youtube→賭博狂の詩
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