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お金のない自由ってホントに自由なの? 日雇いフリーランスの遠吠え

フリーランスはゴールからの逆算で1ヶ月が始まる

 火の車に乗ってその日暮らしを爆走する。月末に向かって収束していくイメージだ。一、二週間前から「逆算」を始める。今月必要な金額もザッと30万円ほど。このゴールに向かって仕事を探す。知り合いに連絡をし、なければまだ生きている消費者金融のカードの枠が無いか一通り調べ、案の定無いのを確認してからパソコンを凝視していくらで売れるかを確認する。毎月の無職モーニングルーティーンだ。  たまに金が必要になるのは月末だから当然翌月払いは容認できない。今この瞬間の自分が助かるためだけに生きている人間は「明日の自分が助かればいい」なんて悠長なことは思わない。だが真実は、未来の自分を助けるために働くことの繰り返しこそが安定した日常なのだ。  このような生活を続けていると、ふと自由について考えることがある。僕は自由を渇望してサラリーマンを辞めたのに、結局その日を暮らすための金の工面について延々と考えているのだ。出勤中は仕事のことばかり考えてしまうから、それが嫌で辞めたのに、ついに金の不安が自分のプライベートな時間にまで迫ってきている。そこで初めて気づいた。 「固定給で働くことは、生活するための金を確保するために犠牲にする自分と、自由な自分とを分けることができる」と。

カネがなくて吠える

 毎朝決まった時間に起きなくていい代わりに、今月はどうやって生活費を確保しようかとずっと考えている。金が足りない間はずっとバイトを探している。  よくよく考えてみれば当たり前だったのかもしれない。世の中の普通は、それが一番良いからそうなっているわけで、会社という形、従業員という形がただ古いだけなわけがない。 「フリーランスで自由な生活! もうサラリーマンは終わり!?」 「奴隷になるな! 経営者の考え方」  カスだ。罠以外の何物でもない。僕はミーハーな思想の持ち主だからすぐに騙されてしまう。本当の自由とは「無」だ。そうしたい時には何も考えないで寝床の中で岩になり、気まぐれで立ち上がり、フラッと散歩に出て気になった店に入り、話しかけられたら応じ、そんなに喜んだそぶりも見せずに家路につく。SNSに「良い店見つけた」とだけ呟く。自由だ。  固定給じゃないとこの間ずっと金のことを考えている。余程貯金がない限りこの心配は尽きず、いつ飽きられるかもわからずに見えない敵と戦い、 「もう炎上でもいいから消えたくない……」  と目立つだけの最悪な行動を繰り返す。そんなyoutuberもたくさん出てきただろう。彼らもまた四六時中考えているのだろう。これからのこと。このままでいるためのことを。1日8時間働いて禊を済ませ、自分に還ることがどれほど尊いだろうか。スーツを脱いだら自分がいて、会社はもう追いかけてこない。昨今激ヤバなブラック企業ばかりが取り上げられ、自由が侵害されているなんて言われたりもするが、家に帰ってたった二時間しかなかったとしてもその二時間は自分の城だ。大事にしてほしい。  会社を辞めるのは気持ちがいい。全てのものに勝った気になって無敵の気分で会社を去るその瞬間は筆舌に尽くし難い。なんでもできる気持ちになる。あの快感を思い出す度に失禁してしまいそうだ。だがその先にあるのは、常識を外れて台無しになった臭い床を惨めに掃除しなければならない現実だろう。  サラリーマンがいい、起業家がいい、そんなものはない。あるのは違う自由の形だけだ。いつも締め切りに間に合わなくてごめんなさい。僕はギチギチに縛られないとダメみたいです。〈文/犬〉
―[負け犬の遠吠え]―
フィリピンのカジノで1万円が700万円になった経験からカジノにドはまり。その後仕事を辞めて、全財産をかけてカジノに乗り込んだが、そこで大負け。全財産を失い借金まみれに。その後は職を転々としつつ、総額500万円にもなる借金を返す日々。Twitter、noteでカジノですべてを失った経験や、日々のギャンブル遊びについて情報を発信している。 Twitter→@slave_of_girls note→ギャンブル依存症 Youtube→賭博狂の詩
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