もらったものは売らない、はした金はできるだけ借りない
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そして後輩力は持続させることが大切だ。
金がないと目先の利益に飛びつきがちだが、「後輩でいること」は「後輩であること」よりも数段重要になってくる。その日面白かったアイツでいるよりも、何かある度に呼んでおきたい部分があった方がいい。
僕は日本とフィリピンで主に後輩ムーブを繰り返してきたが、毎回全力大騒ぎをして喜んでくれる先輩には悪人が多かった。理由はわからない。無料のコンパニオンか大道芸人だと思われているのかもしれない。もちろんご馳走になったり良いことは多いが、気に入るのとモノ化するのは明確に違うから間違ってはいけない。
もらったものは売らないようにしよう。たまにとんでもないお金持ちの人と知り合いになり、晩酌のお供をさせてもらった時に自分では価値がわからない物をもらったりもするだろう。それはブランド品だったり衣類だったりするだろうが、安易にメルカリなんかを開いてはいけない。
諸先輩は見ている。と思った方がいい。
みみっちくてセコく見える貧乏人を見て興醒めするかもしれない。その人たちがあなたに渡したのはただの価値ではなく気持ちだ。金額ではなくその行動自体が二束三文なのだ。世話になった人からもらったものをメルカリで売る行為は高くとも数万円にしかならないが、後ろめたくならないように関係を続ければ必ずその売値を越える経験ができるだろう。
金はできるだけ借りないようにしよう。これは僕の場合にしか当てはまらないかもしれないが、自分を助ける能力がある人の近くにいたからといって、すぐに救いの手に飛び付いてはならない。
「金が無いなりにやってるんだ!」というプライドを見せていくことによってイジらしく見えてくる。そもそも数万借りて返さない間は相手側もこちら側も金のことを何となく考えてしまう。人生を決める岐路の上に立った時にだけ、大勝負をする時だけだ。
数万円でジャンプできる人生は無い。自分を助けるなら、落ちそうな自分よりも変われそうな自分を助けてもらおう。基本的に金を借りるという行為は人生を通して一人に対して一回のみと心得るくらいがちょうどいい。簡単に借りてしまう貧乏人はほかの貧乏人と変わらなく見えてしまう。
意地と無駄なプライドで差をつけよう。
反対に、賭場で借りてしまった金は思い切り使おう。これは教えてもらったことなので僕が責任をとる言葉ではないが、例えば100万円賭場で貸した時に1万円ずつ賭けている様子は見たくない。擦り切れて擦り切れて、もう退路もなく、本当は帰ってまた一から始めなきゃいけない時、
「勝てるかもしれない」
という悪魔の囁きがじわじわと広がり、
そんな人間の隙間にスッと金を差し出すのが賭場において金を貸す醍醐味だろう。もう後ろに道が無い時、人は背後に翼の幻を見る。レッドブルを飲まなくたって飛べる。そうして崖の上でウズウズしている人間の姿は貸す側にとって最高のご馳走だ。
「任せてくださいよ」
金は、できるだけ借りないようにしよう。
もらったものは、売らないようにしよう。
夢や目標で、自分が折れないようにしよう。
それでも飯が食えていることに、感謝しよう。
今はみんなの後輩で、いつか先輩になって返せるようになろう。
僕は、乞食と呼ばれています。
〈文/犬〉
フィリピンのカジノで1万円が700万円になった経験からカジノにドはまり。その後仕事を辞めて、全財産をかけてカジノに乗り込んだが、そこで大負け。全財産を失い借金まみれに。その後は職を転々としつつ、総額500万円にもなる借金を返す日々。Twitter、noteでカジノですべてを失った経験や、日々のギャンブル遊びについて情報を発信している。
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賭博狂の詩