東北から東京へが多かった出稼ぎは現在、沖縄、西成から被災地へ
――『JR上野駅公園口』の主人公は1963年に出稼ぎのために福島県相馬郡(現・南相馬市)から上京し、翌年開催の東京オリンピックの競技施設の建設作業に従事しています。彼がホームレスとして上野公園で暮らしていた時期は、2020年の東京オリンピックの誘致活動の真っ只中でした。
本書のなかに、「世界遺産とオリンピック誘致を審査する外国の委員に、ホームレスたちのコヤが目に触れたら、減点対象になるのだろうか」との言葉もありました。この本は、1964年と2020年の約50年のあいだに、日本におけるオリンピックというイベントの意味合いがどう変わったか……ということを考えるうえでも興味深いものでした。
柳 『JR上野駅公園口』の刊行後に、東京オリンピックの2020年開催が決定しました。たちまち、被災地には、建築資材の高騰や、作業員の不足といった影響が現れました。経験豊富な腕のある作業員の方は、賃金の高い東京でオリンピック関連の仕事に就くからです。
では、被災地に従事する作業員は、どこからやって来るのか? 地元の建設会社の社長にお話を伺うと、「最低賃金が安い地域からリクルートをしている会社が多い」と。沖縄からの出稼ぎの方も多いし、西成(大阪)で日雇いの仕事にあぶれて、炊き出しに並ぶような方が連れてこられている、と。そこで、わけあって西成の福祉施設に入居している友人に会いに行き、西成に泊まって事情を聞きました。募集を行う際は
「関東方面の仕事で、宿泊施設あり、食事付き、日当いくら」とだけ伝えて、バスで連れてきて、原発周辺の比較的線量の高い地域の除染や家屋解体の作業、原発内の収束作業に従事させるそうです。
近隣の総合病院に勤務する友人や、市内のお寺のご住職によると、そうした作業員の中には、こちらで亡くなってしまう人もいる。西成でホームレスに近い状態だった人は、糖尿病やアルコール依存症などの既往症がある人も多く、保険証を持っていない。救急外来で訪れて、支払いの際に逃げてしまう人もいる。
南相馬で雇い止めになり作業員宿舎を追い出され、ホームレスになる人もいるんですよ。南相馬市内に留まる人もいれば、関西まで帰る交通費はないから、とりあえず最も近い都会である仙台に出るという人もいる。仙台は、日本国内で、野宿者が冬を越せる北限と言われています。長いアーケード街がある、ということもあるでしょうね。
南相馬でホームレス状態になる人達は、社協(社会福祉協議会)の窓口を訪れ、生活福祉資金の緊急小口資金の10万円を貸し付けてもらえないか、と相談をするそうですが、対象条件から外れるので応じてもらえない。南相馬は、ホームレスが多い都会ではないので、シェルターとなる保護施設もない。「今日の食べものを買うお金もない。スーパーで万引きをして食いつなぎ、24時間営業のコインランドリーや道の駅のトイレの中で寝ている。万引きは犯罪なので、もうしたくない。何とか支援を受けたい」と訴えられた人もいたそうですが、お金を渡すことはできない。そういう場合は、社協の有志が出勤前につくったおにぎりを渡したり、市民が「困っている人に」と寄付した商品券を渡しているそうです。
これは、浄土真宗のご住職からうかがった話なんですが、病死や事故死や自死によって亡くなった作業員の中には、身寄りのない人や、名乗っていた名前が偽名の人もいて、荼毘に伏す時にはご住職と市の担当職員だけ。遺骨の引き取り手もないということで、ご住職はお寺で骨壺を預かっていらっしゃいます。
『JR上野駅公園口』は、1964年開催の東京オリンピックの前年に福島出身の男性が東京に出稼ぎに行く物語ですが、2021年の開催を目指している東京オリンピックの裏側で、福島の原発周辺地域に出稼ぎにくる労働者もいる。そして、『JR上野駅公園口』の主人公と同様に、郷里に帰れないままホームレスになっている。私は、『JR上野駅公園口』と対になる2021年の東京オリンピックの物語を書きたい、と思っています。
柳さんは現在南相馬市の小高地区に住んでいる
――『上野駅公園口』ではオリンピックが偽物の希望の象徴にように描かれていて、あとがきにも「多くの人々が、希望のレンズを通して六年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます」との言葉がありました。新型コロナウイルスの影響で、オリンピックをめぐる状況はさらに変化しましたが、柳さんはその点をどう見られていますか。
柳 新型コロナウイルスのパンデミックによって「剥がれ落ちて見えたもの」は確実にある。東日本大震災と原発事故が起きた2011年に、「この国の希望は、実はメッキによって輝いていたんだ」と多くの人が気づき、メッキの剥がれた社会の実体をはっきりと見たはずです。2020年に開催が決まった東京オリンピックは、その実体の歪みや醜さを再びメッキで覆おうとしましたが、コロナの感染爆発によってメッキが剥がれただけではなく、社会のあちこちがひび割れ、亀裂が広がっているように感じます。
震災、自殺。人が命を落としても。「時は過ぎない、事は終わらない」
――コロナ禍の日本では女性の自殺者が急増していることもニュースになりました。『上野駅公園口』をはじめとした著作で、自殺というテーマに向き合ってきた柳さんは、現状をどう感じていらっしゃいますか。
柳 人が自死を選ぶのは、経済苦や病苦など様々な引き金がありますが、
最も人を追い詰めるのは、「孤絶」だと思います。「孤絶」は、孤独がより深刻になり、人とのつながりを完全に断たれた状態ですね。
私が暮らす福島の相双地区では、災害公営住宅に入居していた60代の男性が昨年5月に孤独死しました。4月の緊急事態宣言の最中に、50代の娘と80代の父親の心中と思われる事件も起きています。
緊急事態宣言が出ると、社協の訪問活動も延期せざるを得なくなり、地区ごとに行われていた茶話会や清掃活動やラジオ体操なども全て中止になった。
都会で仕事や子育てをしている女性たちの中には、コロナのパンデミックで失職し、自分の家族とは縁が切れていて、職場での縁が切られると、経済苦に加えて、
いっきに孤絶に追いやられるという人が多いのではないでしょうか。
――『JR上野駅公園口』の主人公は、大切な家族を亡くした喪失感を抱えて生きてきた人物でもありました。自殺も増加しているコロナ禍では、「大事な人を失ったあと、どうやって生きていけばいいのか」ということも切実な問題になっていると思います。
柳
「さよならだけが人生だ」という言葉がありますが、
生きていくなかで喪失を体験しない人はいません。私も、自分はいま誰に逢いたいだろうか、と考えた時、既に他界している人の顔ばかり浮かんで困りました。
日本人の平均寿命は年々長くなっています。男性81.41歳、女性87.45歳になりましたが、家族、親族、友人が次々と他界し、若さや健康も失っていく。最後は誰もが自分の命を失います。人生においては、得られるものよりも、失うものの方が圧倒的に多い。
でも私は、失くしたものは「消えて無になる」わけではない、と思っています。書店の店頭用の『JR上野駅公園口』の色紙に、私は
「時は過ぎない。事は終わらない」と書いていますが、その言葉の通り、その人の存在や、その人生の中での出来事は、その人の死によって無になるわけではない。死後も響きとして残る、と私は思います。
――この『JR上野駅公園口』の冒頭にも、人生を本と比較して、「人生は、本の中の物語とはまるで違っていた。文字が並び、ページに番号は振ってあっても、筋がない。終わりはあっても、終わらない。残る――。」との言葉がありますね。
柳 渋谷で64歳のホームレスの女性が殺害されるという事件がありました。彼女はあのバス停の前で命を奪われましたが、彼女の人生の苦しみや悲しみや惨めさ、かつてあったであろう楽しみや喜びは、決して無くならない、と思います。
喪失の後の響きに耳を澄ませることが、小説家の仕事なのではないかなと思っています。