更新日:2021年01月29日 12:34
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「どうしたら死ねるだろうかと思いながら書いていた」喪失を描く作家・柳美里の言葉

自殺へと至る「孤絶」から苦しみを共にする「共苦」へ

――先ほど「孤絶」という言葉を使われましたが、一方で柳さんは南相馬に移住された理由として「共苦」という言葉を使われていまいた。今の世の中には、独りで苦しみを抱えている人も多いと思いますが、「そうした人達の苦しみを共有することはできないか」という思いで移住をされたのでしょうか。 柳 最初のきっかけは、南相馬市の臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」から「南相馬に通っているなら、ラジオに出てくれませんか?」と2011年7月にお誘いをいただいたことでした。それで、私が聞き手となって地元の方のお話を収録する番組ならばやりたい、「ふたりとひとり」という番組タイトルを提案し、2012年2月から収録を開始したんです。 「ふたりとひとり」で、私はほとんど喋っていません、相槌を打つぐらいですかね。「話を聴く」ということを「傾聴」というけれど、まさに自分を相手に傾ける。聴くことに自分を傾けているときは、自分という枠組み、様々な属性や思想などをいったん全部外して、どんな立場の相手だろうと、その話にシンパシーを覚えることが不可欠です。 シンパシーは「同情」や「共感」と訳されますが、英語の語源としては、むしろ「共苦」です。「ふたりとひとり」で、どんなにシンパシーをおぼえながら話を聴いていても、「あなたの気持ちがわかります」と言うことはできません。私は、その経験をしていないから。私は、想像することで「共苦」することしかできないから。でも、同じ空間で、顔と顔を合わせ、その人の肉声を聴いているうちに、その人の抱えている悲しみや苦しみが私の身体に組み込まれるように感じる瞬間が訪れるのです。

「自分がない」のは当たり前そもそも自分自身が他者だから

――過去のエッセイのなかでは、3.11の後は「自分の重心を自分の外に置いてきた」「自分が語る言葉ではなく、自分が聴く言葉によって導かれた」とも書かれていました。先ほどの共苦の話も含めて、「自己と他者の壁を乗り越える」ということを今は作家として意識されているのでしょうか。 柳 「自己とは何か」という捉え方が大きく転換しました。自己という意識は、他者の影響下で生まれますよね。赤の他人だった男性と女性が出会って、性的に結びついて、一人の人間が生まれる。出自や生育過程は自分で選ぶことはできず、最も近い他者である親任せです。小学校、中学校、高校での、同級生や教師との関係も、運や偶然に左右される部分が大きい。そうやってさまざまな他者に出逢い、他者に揉まれるうちに、他者を経由して「私はこういう人間なんだ」という自己を認識していくわけですが、そもそもその自己というものが丸ごと他者なんだ、と気づいたんです。 だとしたら、自己なんていくらでも組み替えられる。指を入れて網目を広げてほどくこともできるし、別の他者を編み込むこともできる。そして、編み込む他者は多ければ多い方がいいだろう、と考えるようになりました。 ――とても生きやすくなる考え方だと思います。 柳 私もどこかで「自分地獄」にはまっていたんだと思うんですよね。自分から離れたくて逃げ出したのに、どこまで逃げても自分を引きずってしまうし、逃げた先に待ち伏せをしているのも自分……という地獄です。 若い頃って、親や先生によく「お前、自分が無いのか!」とか「自分を持て!」とか言われて叱咤されますよね。「でも、そもそも自分なんて無いでしょう? あなたのどこからどこまでが自分なんですか?」と、今の私だったら、言い返しますね。今の私は、当時私の前に立ちはだかった大人たちより歳上ですが(笑)。 自分なんて無いんです。私は即ち私じゃないんです。他者が流れ込んで、他者と混じり合って出来たものが私で、その私も確固としたものではなく、常に他者との交流によって変化し、流動します。 これまでは柳美里というと、処女小説『石に泳ぐ魚』の裁判と、未婚での出産と伴侶の癌闘病を書いたベストセラー小説『命』で、私小説作家というイメージを強く持たれていました。でも、今の私は自分の属性とかけ離れた登場人物でも、私小説のように書くことができます。 時代小説やファンタジーだって書ける。実際、構想をしています。柳美里という名前のイメージが邪魔なので、ペンネームを使うかもしれませんが(笑)。 ――そうやって「編み込む他者は多ければいい方がいい」と考えるなかで、2018年から自宅を改装した書店『フルハウス』を開業したり、劇団『青春五月党』の活動を再開したりしていったわけですね。 柳 自分の考えや目的や夢や計画を土台にして、こうしよう、次はこれを実現しよう、と行動を組み立てていったわけじゃ全然ないんですよ。 南相馬の臨時災害放送局で週一のレギュラー番組「ふたりとひとり」をスタートしたのは、「南相馬に通ってるなら、ラジオに出てくれませんか?」とディレクターの今野聡さんが声をかけてくれたからで、最初の打ち合わせで「閉局までやります」と約束しちゃったんですよ。名前の通り、長くても一年で閉局する大規模な災害時に臨時に立ち上がるラジオ放送局だと、今野さんの説明を信じて(笑)。それが、年末になると「柳さん、来年いっぱい続くことになりましたので、よろしくお願いします」ってメールがくるんですよ。 一年一年延長されて、結局2018年3月に閉局するまで、丸6年間続けて約600人の方のお話を収録したわけですが、当時住んでいた鎌倉からだと朝出発して南相馬に到着する頃には夕方ですからね。時間的にも厳しいし、ノーギャラで交通費も宿泊費も自前だったから、経済的にも厳しくなり、これは南相馬に引っ越さないと、閉局までやるって言った今野さんとの約束を守れないなと思って、2015年3月にまず、南相馬市原町区の借家に転居したんです。 そしたら、「ふたりとひとり」第100回に出演してくださった小高工業高校電気科の井戸川義英先生に「南相馬に引っ越してきたんなら、うちの生徒たちに文章表現と自己表現を教えてほしい」と声をかけていただいて、これもボランティアなんですが、電気科、工業化学科、機械科の3クラスを受け持ち、計22回の講義を行いました。全員男子だったんですけど、99人の作文を何日も徹夜で添削したり(笑)。 そんな日々のなかで、先生方から小高工業高校と小高商業高校が統合して「小高産業技術高校」となり、避難区域に初めて戻る高校になるという話を聞いたんです。両校とも、当時は原町の仮設校舎でした。私が原町の借家からママチャリで通ったのは、日本通運の倉庫を間仕切りした教室です。 生徒たちが心配で、避難指示解除に向けての住民説明会に参加するようになったんです。下校時間に車で小高に行って、通学路を歩いてみたりもしました。震災前は1万2842人だった小高区の居住人口は、避難指示解除直後は僅か1488人、現在は3747人ですが、約半数が65歳以上で、緩やかな増加から緩やかな減少に転じています。 「避難指示が解除されたら、まだほとんどの人が戻っていない真っ暗な町に、先陣を切って高校が戻り、生徒たちが毎日通学する」ということに納得がいかなかったんですね。生徒たちの作文を添削しているから、学校生活の内情も知っているわけです。運動部の終了時間は一般的に考えられているより遅い。常磐線は1時間ないし1時間半に1本しか来ないから、1本乗り遅れたら駅舎で待つしかないんですが、駅舎は小さいし、エアコンは付いてない。しかも、駅員はいません。「これは9時20分の終電まで開いている店がないとキツいよな」と。で、「誰もやらないんなら、私がやるしかない」と思ったんです。 でも、高校を1年で退学処分になって16歳で演劇の世界に飛び込んで以降、バイトをしたこともないですからね、私は。「私に出来る店なんてあるのか?」と自問してみたときに、「そうだ、本屋だ」と思い付いてしまったんですね。「私に出来る店は、本屋しかない。本屋だったら、お小遣いの少ない高校生たちが、なんにも買わないでも、電車待ちが出来る」って。 演劇についても、ですね、フルハウスで開催した第1回目の土曜朗読イベントがきっかけで偶然始動したんです。1回目のゲストは福島市在住の詩人の和合亮一さんでした。和合さんの中学校の同級生の森﨑英五朗さんが参加してくれて、「うちの息子、広野町のふたば未来学園高校の2年生で、演劇部に入ってるんです。今度の子どもの日にフルハウスに連れてきて、本を選ばせて買ってやりたい」っておっしゃって、5月5日に息子の森崎陽くんを連れてきたんです。陽くんが、「柳さん、うちの部活見にきてください」と誘ってくれたので、見に行ったら、エチュードによる芝居創りも部員同士の人間関係も全くうまくいってなくて、そのギクシャク感が笑っちゃうほど面白かった。 で、部活が終わった後に思い切って、「この子たちといっしょに青春五月党を復活するって、アリですかね?」と顧問の小林俊一先生と齋藤夏菜子先生に訊いてみたら、「アリです」と即答していただいて、びっくり。もう、テニスのサーブ、レシーブみたいな感じで、その瞬間、四半世紀ぶりに青春五月党を復活するっていうことが、決まっちゃったんですよ。 実際は、フルハウスも青春五月党も、寿命を確実に5年は縮めたな、ってくらい大変だったんですけど、それでも全てが、成り行き任せ、他人任せ、自発ではなく他発なんですよ。 フルハウス

これからの10年。柳美里の後期を見据えて

――取材の時間がもうすぐ終わりということで、最後の質問で一つお伺いさせてください。Twitterで「これから10年、柳美里後期の作品を書いていきます」と書かれていましたが、具体的にはどんな作品を書いていきたいですか? 柳 小説については、現時点で担当編集者と約束しているのは、『ゴールドラッシュ』の続編の『ダイヤモンドビジョン』。『JR上野駅公園口』と対になる、原発周辺地域の除染や家屋解体の作業員を主人公にした『常磐線夜ノ森駅』。仙台伊達藩と相馬中村藩の境界にあった丸森の小斎城を舞台にした時代小説『境界の城』。『雨の夜、日曜の朝』という作品もあります。 ファンタジーも書きたい。福島の状況というのは、そのまま書くのは難しいことが多い。ファンタジーの世界に置き換えて抽象化すれば、喪失や対立や摩擦の細部を書くことが出来る。『ゲド戦記』や『ナルニア国物語』や『指輪物語』のような長い物語を書いてみたいです。 演劇については、新型コロナウイルスの感染が爆発して、全国に緊急事態宣言が出るような状況にならなければ、2021年度中に4本の作品を上演します。また夏休み期間には、平田オリザさんとの共催で「常磐線舞台芸術祭」を予定しています。2021年度に第0回と0.5回、2022年に第1回開催を目指します。 12月2日に「フルハウス」のカフェをオープンしたので、経営者としての仕事もあります(笑)。メニューブックの文章は全部私が書いたので、是非、読んでいただきたいです。全米図書賞を受賞した直後に、シーフードドリアの説明を書いてましたからね。「エッセイや小説の締切がどこどこやってきて、戯曲を書いたり、芝居のキャスティングや制作資金集めなんかも急がなきゃならないのに、私は何やっているんだろう」という感じで、シーフードドリアですよ(笑)。 * * * 柳美里さん『JR上野駅公園口』は、版元の河出書房から5万部が重版出来されて全国の書店に届けられている。孤独、そして「孤絶」から人を救ってくれる、かけがえのない一冊だ。ぜひ手に取ってみて欲しい。〈取材・文/古澤誠一郎 撮影/後藤 巧〉
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