更新日:2022年05月06日 20:15
恋愛・結婚

ゲイカップルのラブホ利用は、なぜ差別されるのか/文筆家・古谷経衡

独りラブホ民への迫害も

 私など独りラブホ歴があまりにも長いので、客が私一人だと判明すると、途端に空室表示が消え「満室」に切り替えられ宿泊不能を告げられるという苦い経験は数知れない。ラブホ側からすれば、通常男女のアベックの利用を想定しており、男性独りでの利用は「後から部屋に人を呼びトラブルになるかもしれない」などの警戒感から、利用を敬遠する場合も少なからずあるためである。  要するに「満室」を言い訳にすれば、実質的にはラブホでゲイカップルを法に則って拒否することは、当然技術的には可能なわけである。私は全てのラブホがそうであるわけであると言っているわけではない。一部のラブホでは、そのような可能性が未だあると言っているだけだ。  このような事情を鑑み、日本最大のラブホテル網羅サイトである「ハッピーホテル」(通称ハピホテ)には、最初から「同性利用可(男性)」のタグがラブホの紹介文に貼られており、当該物件を検索することができる。しかし旅館業法第5条を素直に解釈すれば、「同性利用可(男性)」と謳う以前に、そもそも男性同士の利用客を拒否することは法律違反なのである。にも拘らず、ハピホテにこのような表示があること自体、実際に於いてラブホでのゲイカップルの利用は、未だ制限下にあると言わざるを得ないのである。  では心無い一部のラブホが、LGBT、特にゲイカップルの宿泊・利用を拒否するのは何が理由なのであるか。第一に、ゲイカップルは社会通念上、肛門性交を行うので部屋が汚れるという意見と、他の客からの体面や苦情がある―などの二種に大別されよう。  後者は完全な偏見であるが、前者に関してもそもそもゲイカップル全てが肛門性交を行うわけではなく、オーラルセックスのみで完了する場合も十分にあるし、肛門性交は男女のアベックでも何ら問題なく成立し得る事案である。要するにこれらのラブホ側の禁忌感情とは、合理的な理由ではなく単なる偏見に過ぎない。一部のラブホによるゲイカップル宿泊・利用拒否は完全な違法であり、なによりもLGBTへの重大なる人権侵害であると言わなければならない。

ラブホの暗部について物申す

 我が国のラブホは大都会のオアシスであり、世界に冠たる独自のラブホ文化として発展・進化を続けてきた経緯がある。私は独りラブホ愛好家として、ラブホの明ばかりを強調するのではなく、時として暗も示さなければならないと思う。  ラブホは、コンクリートジャングルの中に咲く一凛の花のような存在でなければならない。窒息感で閉塞する現代社会にあって、ラブホは荒天の中に射す一筋の光明であり、すなわち光明とは希望そのものであって、希望こそラブホでなければならない。その利用にあっては、人種は当然の事、性的志向で差別があっては断じてならない。  日本のラブホは質的に高度化し、間違いなく世界有数の「ラブホ先進国」と胸を張って言える状況だ。しかし一方で、本稿に掲載したような後進性を、少なからず業界の一部が持ち合わせているのも事実である。ラブホは営利を追求する私企業であると同時に、市民生活に潤いと福祉を提供するある種の公共財と見做した時、そこにあらゆる差別や偏見があってはならない。ラブホへの門戸は、すべての人民に対し全く平等に解放されるべきである。それが、私が理想とする「国民皆ラブホ時代」への前哨なのである。<文/古谷経衡>
(ふるやつねひら)1982年生まれ。作家/評論家/令和政治社会問題研究所所長。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。20代後半からネトウヨ陣営の気鋭の論客として執筆活動を展開したが、やがて保守論壇のムラ体質や年功序列に愛想を尽かし、現在は距離を置いている。『愛国商売』(小学館)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか』(晶文社)など、著書多数
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