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<純烈物語>御園座千穐楽で里見黄門様は「ペットボトル」と突然言った<第91回>

リーダーの気遣いに、バイプレーヤーの娘は客席で号泣していた

 千穐楽の翌日、番組収録でNHKの楽屋に入ったあと余韻が抜けずにいた酒井は、共演者に電話をかけまくった。その一人、白井と同じ剣会の田井克幸(65歳)からこんなことを明かされた。 「そうそうリーダー、ひとつだけお礼を言いたいんだけど。最後に僕や白井さんを労ってくれたやろ? 実は白井さんの娘さんが客席に来ていたんよ。娘さんは3回見に来てて、最後に僕らみたいな小さい役の人間をちゃんと見ていてくれた人がいるということを知って、客席で号泣しよたって」  白井にとって、今回の『水戸黄門』は30年ぶりの舞台だった。オファーを受けた時は「自信がないし、里見さんに迷惑をかけてしまうから」と、話を振ってきたプロダクションがある京都の撮影所にまで出向いて丁重に断ろうとした。  ところが、そこでたまたま京都へ来ていた里見とバッタリ。「おー、白井、久しぶり! 今度、御園座やるんだけど、よろしく頼むな」と言われ、断るつもりがやるしかないとなった。  不安で仕方がなかったが、稽古場から演出、アクション、俳優としての個人の演技……さまざまなものに白井は携わる立場を請け負った。プレッシャーのあまり、迷惑をかけないようにとヘトヘトになりながら続ける父の姿を娘さんは見ていた。 「あのひとことが僕らとしてはホンマにありがたかったし、僕らのような者にお客さんの目が集まる場を作ってくれて、ありがとな」  スマホ越しに田井から感謝の意を伝えられた酒井はあの時、自分が言ってよかったとは思わず、白井父娘が報われた喜びで胸の高鳴りが止まらなくなった――。

座長がすべきことを里見から学べた有り難さ

 そして、里見から授かった言葉を噛み締める。明治座で初座長を務めるにあたり、大切なことは何かと教えを請うた時のものだ。 「みんなが働きやすい力を引き出す環境を生み出すこと。あいつがダメだとか、これが嫌だとか、嫌な雰囲気を作る要因にならず、和を作る空気をどんどん発していく。舞台は小さなミス、小さな事故が大きな何かにつながっていく魔物が宿っているが、それはみんなで力を合わせれば乗り越えられます」  初座長前に、里見浩太朗とその仲間たちとともに過ごした1ヵ月は、明治座に向けてこの上ない経験となった。歌には歌の、舞台には舞台で生きる者たちの世界がある。  それを現場で吸収できる自分たちは恵まれていると、酒井は言う。だからこそ、他ジャンルとのコラボという感覚ではいられなくなった。その先にあるものを作り、伝えていくのもこれからの純烈がやるべきことなのだと。 「もう、自分たちの一存で逃げられなくなっちゃったなとは思います。こういう純烈出てくれという声がある限りね。何ができるのか自分ではわからないんだけど、やるしかない。いろんなことはできないからね、純烈……いろんなことをやってんだけどさ、ハハハハハ。なんて呼べばいいかわからなくなってきたわ、このグループ」
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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