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<純烈物語>「観客の前で演る楽しさ」後上翔太を成長させた御園座の舞台<第94回>

実はヘバっていた、2回公演の夜の部

「純烈を組む前にけっこう舞台はやっていて、もっと長い公演も経験はありました。ただ、今回の御園座は第2部に歌謡ショーも入っていたので、そことのバランスというか。(一日)2回公演の日はどこまでやれるかと探りながら、かといって手を抜きたくないので、午後のことも考えて午前の方は軽くしようということは考えずにやると課していました。それで夜公演は、けっこうフラフラだったんです。  ステージの上では見せないけど、はけた時はヘバっていましたね。里見浩太朗さんが『君たちは歌だけじゃなく、踊りもやらなきゃいけないから大変だね』と言ってくださったんですけど、その里見さんがあの御年齢でお芝居も歌もやっていらっしゃるんですから。純烈のライブもまだフル尺ではやっていないけど、45分の尺でやることに関しては自分の体にGOを出せるようになった。(今日の)60分も大丈夫だと思います!」  言うまでもなく、御園座は7月の純烈初座長公演・明治座に向けての大きなステップとなった。ただ、それにとどまらず“本業”の方にもプラスの影響を及ぼした事実がメンバーたちの証言から伝わってきた。後上翔太は「役者経験がない中での大舞台」というテーマと向き合った。  国民的超メジャー作品の水戸黄門とあれば、俳優や舞台役者であれば誰もが羨むチャンス。その価値がわかるからこそ、後上は「そこを直視しないように」と、持ち前の合理的発想でとらえたという。  本物の黄門様による座長公演ポスターの中で、自分が目立つ位置にいる。その現実をどう受け取ろうとも、起こり得る現象に変わりはない。

芝居の住人にギリギリでも引っかかっておけば客に届く

 プレッシャーと感じることで魔法のように自分の演技力が上がるのであれば、いくらでも「ヤベー、ヤベー」と念仏のように唱える。けれどもじっさいはそうならないのだから、硬くなるよりも観客に楽しんでもらうのが大事という、基本スタンスに戻る方へ舵を切った。 「そう思えるようになったのは、稽古も終盤に入った段階でした。お芝居を見て水戸黄門の世界っていいな、歌を聴いて楽しかったなって思って帰っていただく。あの世界の中で、そこの住人にギリギリでも引っかかっておけばお客さんに届くと思っていました」  後上が時代劇をライブで演るのは、前川清座長公演で少しばかり経験した程度。それが今回は、自分に合うかつらを作ってもらったり衣装も着付してもらったり、身の周りの世話をしてくれる若い役者もついた。  その分、よけいにプレッシャーも膨らむ。ましてや村人という役どころは、時代劇っぽさがダイレクトに出る武士やなんらかの役職に就く登場人物よりもある意味難しい。
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毎日の積み重ねは歌で学んできたこと
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