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<純烈物語>「観客の前で演る楽しさ」後上翔太を成長させた御園座の舞台<第94回>

純烈_後上翔太

<第94回>純烈ライブにとっても大きかった御園座 後上を成長させた「観客の前で演る楽しさ」

 マネジャー・山本浩光の病状報告のあと、8曲目となる『失恋ピエロ』の途中だった。急に酒井一圭がモゴモゴ言い出し、曲のオケが進む中で「歌詞、忘れたわ」と苦笑を浮かべた。  久々にやる曲だったこともあるが、直後のMCコーナーでは「山本のおっさんのせいや。今日、ライブ前に取材が入ってるなんて聞いておらんかったし、それがあってこの曲のリハもできんで案のじょう、これや」と責任転嫁の達人ぶりを遺憾なく発揮。そしてこのド忘れムーブは、10年後あたりから始まる予定の「ボケ純烈」の予兆と位置づけた。  そうした発言でオーディエンスを笑わせる一方、現実的な部分とも向かい合っていた。じっさいのところライブ活動が点となり、線で結びつけることができなかった昨年の態勢のまま臨んでいたら「ヤバかった」と酒井は振り返る。

体力的にも精神的にも大きかった御園座公演

「今年に入って有観客を10本ぐらいやってきて感じたのは、御園座が本当に大きかった、あってよかったということです。僕個人としても、あそこで毎日稽古してやれたことと、グッチャグチャの体調でなんとか乗り越えられたことによって自信というか、どんなステージでも大丈夫だと思えた。  去年のライブができなかったブランクから渋公(観客1人ライブ)までの時期は頭と体が合致しない、体が純烈仕様ではなく普通の人というイメージになっていて。純烈のリーダーって、どんなだったっけかな?と思い起こしながら演じる感覚だったんです。それが今はマスクして、お客さんの人数も絞ってやりながらいろんなケースを経て、どんとこい!な純烈に戻ってきた感触がつかめている」  スポーツもそうだが、試合勘というものは継続しなければ身につかないし戻らない。2020年6月に無観客、11月に生配信でライブをおこなったものの、いずれも“単発”だった。  そのたびに肉体的、体力的な課題はメンバーも口にしていたが、4人が一本の線でつながった状態でのパフォーマンスという点ではそれぞれの“ライブ勘”が同じゲージにないとズレやほころびが生じてしまう。その意味で、歌とは違う形ながらも御園座の舞台は大きかった。小田井涼平も実情を明かす。 「この1ヵ月、みんなが同じことをやってきたのは、本当に失礼な言い方ですけどグループとしていいリハビリになりました。もちろん、リハビリのつもりでなんてやっていなかったけど、ライブをやる上でお芝居的要素が入ってくる可能性もあるし7月の明治座の公演も控えていたので、あのタイミングで全員が一つのものを作る場があったのはよかった。  どっちかというと去年から今年に入っても純烈はバラ売りが続いていたから、久しぶりにみんなが集まって一つの何かをやれるというのを、ここはこうだよとディスカッションしながら作っていけたのはありがたかったんです。それも自分たちだけじゃなく、ほかの役者さんたちがいたからよけいによかった。自分たち本意に転がらないから」  小田井の言葉を補足すると、そこにオーディエンスがいるという前提が加えられる。4人の共同作業ならば、配信ドラマや映画の撮影でもやってきた。  そこに観客の顏と気持ちがあるかないかで、パフォーマンスをする上での勘どころも変わってくる。ましてや小田井の場合、常に体力との勝負という現実もまとわりつく。
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実はヘバっていた、2回公演の夜の部
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