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<純烈物語>温泉ライブ再開の喜びに湧くも、名物マネジャーの入院の報に……<第93回>

純烈大江戸

<第93回>「観客に喜んでもらえるならば……」の思いを踏みとどまり、お互いを高め合う

 潤 沢の『秘すれば花』をカヴァーした時に酒井一圭が言っていた「ライブではやらない」は、今思うとフラグだった。なぜならその理由が「するところがないでしょ」という表現だったからだ。  裏を返せば、しかるべきシチュエーションがあればやるとなる。たとえば本家・潤 沢の阿部サダヲとの共演、それ以外の場となるとMVを収録した東京お台場 大江戸温泉物語以外にない。  一回きりとの約束で許可を得た純烈は、1年2ヵ月ぶりに帰還する大江戸温泉ライブのオープニングとして、歌詞が1番までしかないジングル的なこの曲を持ってきた。コロナがなければ、1曲目からタテノリに近いリアクションとなっていただろう。 「秘すれば花をここで撮ったのは、僕らにとっても大きかったからね。でも、それに浸っているのもよくない。どんどん進んでいくことの方が大事」(酒井)  夜の部ではやらず、昼のみの披露としたのは「ただいま」と同時に「さあ、ここから再び純烈が歩き出すよ」という姿勢を示すためのものだった。MVではだだっ広い中村座でマネジャーの山本浩光がだらーっとし、日本クラウン・アーティスト担当の新宮崇志がスマホをイジる中で歌ったが、この日は150人のファンが喜んでくれている。

静寂を守るファンに囲まれ

 続く『プロポーズ』を歌い終えると拍手に包まれる中、MCへ。笑いは聞こえてもメンバーを呼ぶ声やいわゆる黄色い歓声は起こらず。1月から有観客ライブを再開した以後、ルールを破るオーディエンスは現時点で一人も出ていないとのことだった。  待たされた分、嬉しさもひとしおのはず。感情があふれ出ても不思議ではない。そうした中でも純烈のファンは、アーティストとの約束を守ることでこのような場を持てる関係性を理解し、協力する。直接的なコミュニケーションや、コール&レスポンスが望めぬ中でのライブは慣れたか酒井に聞くと……。 「純烈の場合、いわゆるコール&レスポンスと言われるものはもともとなかったというか、バラバラだったから、そこはあまり気にならない。逆に、純烈をこれだけ待ってくれている人がいるんだ、こんなことで楽しんでくれるんだっていうギャップが前からあるのね。  僕らは純烈だから純烈を待っていないけど、待ってくれている人の熱量が明らかに自分たちよりもある。会えない期間、ずっと歌を聴いたりDVDを見たり、感染症対策をとって不安を抱きながら会場に来てくれていて、それでも喜んでいる。それを全部背負うと、こっちが重くなっちゃうんで、その場にいるから背負ってはいくんだけど、あまり重く引き受けないようにする。それは直感でやっていることですね」  言葉として伝達されずとも、熱量は皮膚感覚で感じ取れるもの。今年に入り、それを行く先々で味わってきた。  大広間の後方より全体を俯瞰で見ると、やはり声がないことで「盛り上がっているのだろうか」と思う瞬間はたびたびある。たとえばMCを終え、次の曲の準備に入ってからイントロがかかるまでの十数秒間にざわつきや会話がないと、そこだけ間が空いた感じになる。  でもステージ上から見る光景は、声があろうとなかろうと待ちに待った純烈との対面にワクワクし、ときめくファンの顔が150人分並んでいる。表情から熱が発せられるのは、コロナ前と変わらない。  いや、酒井の言うように待たされた分だけより過剰なものとして突き刺さる。意思を持った熱量とでも言うべきか。
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ラウンドなしは「ロミオとジュリエット」のよう
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