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間寛平71歳、借金やガンを生きのびた秘訣を語る「恥を捨てて口に出すことや」

「完走したらギャラ2倍」につられてランナーに

 35歳の頃、「青梅マラソンを完走したらギャラ2倍にしてやる」と唐突に吉本から振られた際は、趣味で走ったことしかないほど全くの素人ランナーだったにもかかわらず、見事完走を果たした。  さらに「ホノルルマラソンで郷ひろみさんの記録を抜いたらギャラ2倍にしてやる」という企画でも郷ひろみさんの記録を破り、ギャラを倍にすることに成功したのである。 「マラソンの経験もほとんどない状態だったので、ギャラが増えるというだけで一心になれて。『絶対やったろ』と意気込んだわけですよ。  また、レース中は偶然にも元マラソン選手の寺沢徹さんと出会って、『何としても郷ひろみさんの記録を抜きたいんです!』と伝えたところ、伴走役としてコーチしてもらえた。途中、スパートしようと思った時も『まだ早い』とアドバイスいただけたおかげで、ペース配分を乱さずにゴールできたわけです」

比企マネジャーとの出会いが人生を変えた

 1989年から東京進出した寛平さんのマネジャーには、比企啓之さんが務めることになる。大阪時代から寛平さんの諸事情を知っていた比企マネジャーは、番組制作会社への売り込みを積極的に行ったという。  こうした売り込みが功を奏し、フジテレビ系人気番組『笑っていいとも!』内で5分間の出演枠を獲得。  そこで生まれたのが伝説のギャグとして知られる「引きずり女」だった。 「深夜12時になると現れる“大阪の変わったおじさん”を参考に考えたギャグでしたが、観客には全くウケへんかった……。でも司会のタモリさんや鶴太郎さんはなぜか大笑いしてくれました(笑)。そんな様子がテレビカメラを通して全国のお茶の間に流れると、次第に『面白い』という評判が立つようになったんですね」  さらに、比企マネジャーは寛平さんがマラソンを得意とすることに活路を見出し、毎年アテネで開催される世界一過酷なウルトラマラソン「スパルタスロン」挑戦の番組企画を考え、番組制作会社への営業を行ったのだ。  そこで出た要望は「間寛平単独のテレビ番組では視聴率が取れないので、同じ吉本の明石家さんまも出演してくれたらやる」というものだった。  寛平さんはさんまさんのもとへ直談判しにいったところ、二つ返事で番組出演を承諾してもらったことで、正式に番組化が決定する。  そして、1991年1月4日にスパルタスロンでのドラマを描いた番組が放送されるやいなや、大反響を呼んで一躍ブレイク。CMオファーが殺到したという。 「この番組がきっかけで色々な仕事をやらせてもらえるようになったので、自分にとってターニングポイントだったと思っています。今でも覚えているくらい当時の反響はすごかったですね」
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アースマラソン誕生秘話
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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