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間寛平71歳、借金やガンを生きのびた秘訣を語る「恥を捨てて口に出すことや」

アースマラソン誕生秘話。当初は五大陸制覇を企てていた……?

間寛平 その後も、寛平さんとマラソンは切っても切れない関係になっていく。  1992年には読売テレビ系バラエティ番組『24時間テレビ』の初代チャリティーマラソン走者として抜擢され、1995年には阪神・淡路大震災の復興支援に感謝の敬意を表した神戸-東京間約600kmのマラソンを敢行した。以降も数多くの海外で開催されるマラソン大会へ出場するなど、タレント活動と同じくらいマラソンにも精を出す人生を歩んできた。  そんな寛平さんにとって、今でも語り継がれる一大プロジェクトが「アースマラソン」(2008年12月-2011年1月)だ。陸路はマラソン、海路はヨットで巡りながら、地球一周に挑戦。  なぜ無謀とも思える地球一周を考えついたのだろうか。 「木更津でゴルフをした後の帰りに、車でアクアラインを走っている時に『地球一周をやらな』とふっと湧いたんです。52歳の頃だったかな、サンフランシスコで獣道を走る機会があって。これまで色々な場所でマラソンしてきた自分にとって、次はどんな目標を立てればいいか、何となく漠然と感じていたんでしょうね。周囲からも『55歳過ぎたら体力落ちるぞ』と言われていたのもあり、何かに挑戦したい気持ちがあったからこそ地球一周にたどり着いたのかもしれません」  寛平さんは思い立ったが吉日で行動するべく、かつてのマネジャーだった比企さんへ連絡を取り、地球一周のアイデアを企画化してほしいと持ちかけた。  比企さんはその頃、吉本興業のグループである不動産関連の社長を務めており、寛平さんとはしばらくぶりだったというが、快く相談に乗ってくれたそうだ。 「実は当初はオーストラリア大陸→南アメリカ大陸→北アメリカ大陸→ヨーロッパ大陸→アフリカ大陸→ユーラシア大陸と、“五大陸制覇”を狙ったんですよ。でも企画した数ヶ月後くらいに、フランス人に先を越されてしまって……。『もういっぺん考えてくれへんか』と比企にお願いして出てきたのが、北緯35度をぐるっと回るコースだった。『これこそ地球一周や!』と思って、実現に向けて動き出したんですね」

「やめとけ」と大勢に反対されながらも出発したわけ

 初めは手漕ぎボートで太平洋を渡る計画だったようだが、さすがに危険ということで比企さんの持つヨットを修繕して太平洋縦断することに決めたそうだ。  しかし、冬の太平洋は嵐吹き荒れる悪天候で、消息が途絶えてしまう可能性は極めて高い過酷な環境だ。  海洋冒険家の白石康次郎さんには「死ぬから絶対にやめとけ」と言われたり、出発直前に出演したテレビ朝日系番組『オーラの泉』ではスピリチュアリストの江原啓之さんに「やめといた方がいい。ミッドウェーに引き込まれる予感がする」と予言されたり……。  いわば命懸けでアースマラソンを出発したのは「もう後に引けないと、覚悟は決まっていたから」と寛平さんは振り返る。 「出発日も、支援くださるスポンサーも全て決まっていたので、いまさら中止とは言えない状況でした。冬の太平洋横断が相当無茶で危険極まりない、ということを全く知らなかったのが逆に良かったのかもしれません。“知らぬが仏”と言いますしね。  もちろん、海の上では口では言い表せないほどの辛さが毎日続きました。よく映画で嵐に揺られる船のシーンが描写されると思いますが、もうあんなどころじゃない。太平洋のど真ん中を実際にセーリングしてみないと、あの想像を絶するくらいの怖さは体感できない。それでも横断できたのは、神様のご加護があったのかもしれません」
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「死んでいたかもしれない」
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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