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<純烈物語>恋人に歌えなかった愛と世界観 尾崎豊に心酔していた白川裕二郎<第98回>

母親に苛立つ自分を尾崎に投影していた

「世の中や体制に対する反発ってほど大袈裟ではないんですけど、そういう気持ちを抱く時がありました。俺、小学6年で親父を亡くしてから、ちょっとしたことで母親に対しイライラするようになったんです。  今考えると本当にしょうもないことなんだけど、先にトイレにいかれたりとか、朝シャンしている時に風呂のドアを開けられたりすると『なんだよ!』ってなって。そういう時に尾崎さんの歌詞を聴くと『わかるよ、尾崎!』って共感できた」  自宅にいる時も聴きたくなり、友人から借りて姉がいない間にコンポを使った。そこからCDウォークマン、MD(ミニディスク)とハードが進化していく中、学校中の男子が聴きまくった。  大人になってYouTubeを見ると、尾崎が照明のイントレに登り、7m上から飛び降りたシーン(1984年8月4日、日比谷野外音楽堂反核・脱原発フェス「アトミックカフェ」)に当時、抱いた思いが蘇ってきた。左足を骨折しながらセットリストの最後まで歌い続けたという、伝説のライブだ。 「今、その瞬間を全力で生きている――それができる人は素晴らしい。言葉にすると変になるのかもしれないけど自分の人生、どこまで生きられるかわからないというか、一日一日を全力で生きている人に映ったんです。あの映像を見た時にも、そう思いました」  数ある名曲の中で好きなナンバーとして真っ先にあげたのは『COOKIE』、それに『ハイスクールRock’n’Roll』が続いた。どちらも「歌詞の出だしの耳障りがいい」というのが理由。リリックの意味を深く考察したり、人生訓となるようなフレーズを見いだしたりするのではなく、あくまでも言葉を音感で刻むあたりは他のファンとは違っていたのかもしれない。  歌詞に惹かれつつも、言葉ではなく全体像であるストーリー性が白川の心をとらえたのがわかる。もちろん中学卒業が近づくと「この支配からの卒業」と、何度も口にした。

「卒業する前に生意気な後輩をボコろうぜ」

「卒業する前に、生意気な後輩を呼びつけてボコろうぜってなったんです。僕は柔道部で、その担任のカトシンって呼んでいる先生がいたんですけど、そのカトシンの耳に入ったらしくて、職員室に呼び出されて。『シラちゃんよお、おまえらが一個下のやつら集めて一人ずつ殴るって話になっているけどさ、おまえはそんなやつじゃねえだろうよ』と諭されて。  そのカトシンっていう先生、おかんが小学校の教師だった時の教え子なんですよ。家庭訪問へ来た時に2人が『加藤先生って……小学校の時にいたあの加藤君!?』『ええっ、白川って白川先生のことだったんですか!』ってなったのを、目の当たりしたという。まあ、そういうこともあって先生の言うことを聞いて、やらなかったんですけどね」  高校に進学したあとも尾崎は聴き続けた。1年時に「かわいい女子軍団とカッコいい男子軍団」の集まりがあり、そこへ招集がかかった。  男子の誰を呼びたいかとなり「裕二郎君がいい!」とリクエストされたらしい。その中の一人が、この国に住む者であれば誰もが知る超一流大企業の社長令嬢だった。
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カラオケすら唄えなかった「16の夜」
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