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<純烈物語>水戸黄門最大の見せ場を全うした白川裕二郎は ヒーローのあるべき姿をライブで還元する<第95回>

純烈白川

<第95回>水戸黄門最大の見せ場を全うした白川裕二郎はヒーローのあるべき姿を純烈ライブで還元する

 まだ純烈が売れていなかった頃、白川裕二郎は何度も役者に戻ろうと思ったことがあった。そんな時、リーダーの酒井一圭から言われたのが「紅白に出れば、そっちの方から番手が上がっていくじゃないか」だった。  頂上を目指すには、別のルートからでもいいという発想。歩きやすく整備された山道は確かに登りやすいが、たくさんの登山者が競争し、蹴落とされた者たちがボロボロと谷底へ落ちていっている。  一方、獣道は1メートル先も見えぬほど草木が生えて足場もゴツゴツし歩きにくく、いつ野生の動物に襲われるやも知れぬだけに大変ではあるが、独自ルートで目指せる。酒井の言葉に突き動かされ純烈のメインボーカルを務め続けた白川は、本当に『水戸黄門』の準主役・格さんをホンモノの光圀公の隣で演じる役者となった。  7月に明治座の座長公演も控える身としては、心の底から打ち込めるもの2つを同時進行でやれる立場となった。自分のやりたいことがひとつできるだけでも恵まれている。今の状況は、この上なく理想的と言えまいか。 「うーん……理想的とはちょっと違う気がします。というのも、僕は不器用なんで頭の中がこんがらがっちゃって、理想だなって思うよりも不安になってしまうんです。いや、もちろんありがたいことなんですよ! 本当に恵まれていると思います。ありがたいんだけど、そこで『やったぜ!』ってなれないのが自分であって」  仮に純烈を経由することなく俳優のまま成長しグレードを上げていった結果、この役にたどり着いたら理想的な役者人生と受け取れたのかもしれない。ただ、白川本人が不安を抱いても現実として両立できている。そこは「人間って不思議ですね。やろうと思ったらできるんだから」と、他人事のようなとらえ方だった。  白川の歌に対する取り組み方を知る純烈ファンならば、役者としての姿勢も容易に想像がつくはず。ましてや今回の助さん役はある意味、主人公である黄門様以上の最大に観客の目が集まる出番を全うする必要があった。そう、印籠を掲げるクライマックスシーンだ。

歴代の格さんを演じてきた方々に泥を塗るようなことはできない

「じっさいの演技をうまくやる以前に、歴代の格さんを演じてきた方々に泥を塗るようなことはできない、また作品そのものにも泥は塗れないというプレッシャーがありました。出演される俳優さんたちは皆さん気持ちのいい方ばかりだったんで、座組としてよかったですし、本番ギリギリまでみんなで話すのが楽しくて出トチしそうになったぐらいだったんですけど……それほど、格さん役!? どうしようという感じでしたね。  時代劇を長年やってきたベテランの方々が立ち回りや見栄を切るところを教えてくださるんですけど、それぞれ教え方が違うんですよね。『ありがとうございます。やってみます!』って言いつつ、どれをやればいいんだろうって。そこは、いろんなシチュエーションの組み合わせで、こうやったらこう見えるかなみたいに、自分で考えて生かすようにしました」  小さい頃、時代劇が好きだった父とともに見ていた水戸黄門。ただ、野球や刑事ドラマと違い少年が「僕、この作品に出る!」と思いを馳せるような対象とは少しばかり違う。それが気づけば、その世界の中へ立っているのだ。  白川は過去の俳優時代にやっていたことを思い起こし、役作りのため格さんのバックボーンを調べた。結婚して子どももいて、出身地は……といった設定はもちろん台本になく舞台でも触れられぬが、それを頭に入れることで渥美格之進の人物像をイメージする。  稽古中は、何度となく印籠を落とした。ついている紐が長く、下にそれを束ねる尾締めと留め具の根付けがぶら下がっており、立ち回りで激しく動くうちに出てきてしまうのだ。  反対に、出すべきところで引っかかって出せなかったら……とも考えてしまい、セリフよりそちらの方こそ気が気でならなくなった。第2部歌謡ショーのMCで、リーダーが「印籠出したら逆さまだったとかな」とギャグっぽく飛ばしても、白川本人は笑うに笑えなかった。
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印籠を出す瞬間、留め具が引っ掛かって……
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