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<純烈物語>恋人に歌えなかった愛と世界観 尾崎豊に心酔していた白川裕二郎<第98回>

カラオケすら唄えなかった「16の夜」

 まるでホテルの部屋のような造りのカラオケルームにいった。高校生では手が出ないところだが「私が全部払うから」と、その子がお金を出し貸切状態に。ここはみんなで歌って盛り上がる……ところなのだが、白川だけひとりマイクを手にしなかった。  女子の前では歌えないほどシャイだった。中3で家族旅行にいったさい、スナックで歌ったのが初カラオケ。その時はLINDBERGの『今すぐKiss Me』を1オクターブ下げて男声に近づけたのだが、顔から火が出るほどに恥ずかしくトラウマになっているのもあった。 「歌わずにいる僕の隣にその子はずっと座っていて『なんで歌わないの? 聴かせてよ、白川君の歌』って言うんですけど『無理無理!』とか言うだけで。後日、その子に告白されて、そこで初めてそういうことだったのかと気づくわけです。鈍感でしたねえ。その子はカラオケ好きでよく友達といっていたらしいんですけど結局、彼女の前では一度も歌えなかった」

愛を唱える尾崎の歌をあれほど聴いていながら…

 世の烈男さんたちは「そこで尾崎の歌だろ!」となると思われるが、口の周りにケチャップがつくからという理由で、彼女の前で大口を開けてハンバーガーを食べられない思春期だった。大人になった今なら自意識過剰で、常にカッコをつけていただけだと自覚できるのだが。  十代ゆえ、恋愛上手ではなかったとも言える。彼女とデートするよりも男友達と遊んでいる方が楽しく、また部活も忙しかった。  だから告白されてつきあってもその間、ほとんどデートにはいっていない。スマホがない時代、自宅に「花火大会があるから」「縁日にいこうよ」と誘いの電話をかけてくれたのだが、どれも気乗りせず断った。 「形ばかりのつきあい」は2ヵ月ほどで自然消滅。愛を唱える尾崎の歌をあれほど聴いていながら、自分は不器用だった。 「今思うと、すごくかわいそうなことをしましたね……」  そんな「裕二郎君」が、31年経って聴く者の心に染みる愛を歌っている。尾崎豊の作品へ付随してくる甘酸っぱさが、白川の音楽的源流にあるセピア調の情景へほのかな色合いを描くのだ。 撮影/ヤナガワゴーッ!
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売
純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。
白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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