恋愛・結婚

「鏡越しに…」安ホテルに住む外国人女性の誘惑に葛藤した夜

ニューヨークに残るべきか否か

ニューヨーク それからというもの、エンジェルは頻繁に僕の部屋を訪れるようになった。そして僕を自分の部屋に連れていき、いつも必ずホットチョコレートを出して、自分の映っているビデオを見せてくるのである。  その日、彼女が僕に見せてきたビデオは日本のニュース番組を録画したものだった。ニューヨークで開催された日米対抗のカラオケ大会の様子をレポートしていた。 「これに私も出場したのよ。アメリカ側でね」  しばらくしてエンジェルの姿が映し出された。サンバカーニバルのような派手な衣装を着てグロリア・ゲイナーの「I will survive」を歌っていた。 「へー、歌も歌えるんだ。すごいね」 「いろんなことをマルチにこなせる女優を目指してるのよ」  ビデオが終わると、エンジェルはベッドの上に移って「ああん……」と艶かしい声をあげる。僕はホットチョコレートを一口飲み、ゆっくりと深呼吸をして自分の心から邪念を追い払う。彼女の部屋にいるときはいつも精神修行をしているかのような気分だった。  そして数週間が過ぎ、僕の通っていた8週間の映画学校ももう間もなく終わりを迎えようとしていた。その頃にはエンジェルは僕のことを「スウィーティー」と呼ぶようになっていた。 「ねえ、スウィーティーは学校が終わったらどうするの」 「日本に帰るよ」 「ニューヨークに残ればいいじゃない」 「そうはいかないよ。ビザが切れるし、お金だってもうないし」 「そういうことなら私に任せてよ。私も外国人だし、ビザのことはそれなりにわかってるから。仕事を探すのも手伝えると思う」 「本当に?」 「もちろん。ニューヨークに住む外国人同士、助け合っていきましょうよ」  自分の部屋に戻り、ベッドに寝転がって考えた。学校が終わってからもニューヨークに残りたいという気持ちはあった。映画監督、役者、ミュージシャン、ダンサー……などを目指す人たちが一堂に会してバチバチに火花を飛ばし合う。これほど刺激的な都市は他になく、その空気を吸えるというだけでも僕にとっては毎日が夢のようだった。が、その一方で日本の生活が恋しくなりはじめている自分もいた。

映画学校の修了を迎えた日

 エンジェルの助けを借りてニューヨークに残るか、それとも、日本に帰るか……。僕の心はその2つの選択肢の間でいつまでもふわふわと揺れていた。  そしてついに映画学校の修了を迎えた日の夜のことである。  トン、トン。  僕の部屋のドアがノックされた。 「スウィーティー、私よ」  いつものようにエンジェルが僕を迎えに来たのだ。が、僕はベッドの上でじっと息を潜めて居留守を使った。長い葛藤の末、結局、僕は日本に帰ることを選んだのだ。  しかし、もしエンジェルがナタリー・ポートマン似の巨乳だったならば、僕は間違いなく彼女の助けを借りてニューヨークに残ることを選んでいただろう。巨乳はたしかに魅力的である。が、それだけで男を引き止めることはできないのだ。 「ねえ、スウィーティー、開けてよ。いないの?」  僕が居留守を使い続けると、やがてドアの向こうから彼女の気配が消えた。そして窓の外から聞こえてくるマンハッタンの夜の喧騒だけが室内を満たしていった。 <文/小林ていじ>
バイオレンスものや歴史ものの小説を書いてます。詳しくはTwitterのアカウント@kobayashiteijiで。趣味でYouTuberもやってます。YouTubeチャンネル「ていじの世界散歩」。100均グッズ研究家。
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