更新日:2022年03月07日 15:27
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このままでは日本はウクライナの二の舞になる!ロシアの侵略を招いたウクライナの教訓

ロシア人を防衛大臣に据えたヤヌコビッチ大統領

ウクライナのヤヌコビッチ元大統領

 しかし、それでもウクライナ軍はここまで酷い状態になった理由は、平和ボケによるほったらかしにされたことだけではない。サボタージュもあった。つまり、無能である故にウクライナ軍を壊していた人が多かったが、一部、ウクライナの防衛力をなくすために意図的に軍を壊していたロシアの工作員もいた。  特に2010年から2013年までの間は最も酷かった。その期間は親露売国奴のヤヌコビッチ政権であった。2010年2月に当選したヤヌコビッチ大統領は少しずつウクライナ国家破壊政策を実行した。  なんとヤヌコビッチ大統領は、防衛大臣にロシア人を任命したのである。「ロシア人」とは揶揄ではない。当時の防衛大臣は、正真正銘ロシア出身のロシア人だった。彼は、ウクライナ防衛大臣に任命された後でも、ロシア国籍を持っていた。彼は2014年の政権交代の後、ロシアへ逃亡した。そしてロシアがクリミア半島を占領した時に、モスクワ=クレムリンでのクリミア編入を祝う式典に出席した。彼がロシア国籍を放棄していなかったことは、逃亡後発覚した。明らかなロシア工作員がウクライナ防衛大臣を努めたのだ。  このような人を防衛大臣を任命する大統領とはどういう人か、想像が付くだろう。この4年間の売国政権の間は、それまでに無秩序に起きていたウクライナ軍の衰退が、意図的に軍の解体に変わった。あの売国政権は、ロシアの指示を受けて、ウクライナの防衛力を削いでいたのだ。

無防備にされたウクライナ軍

 以上のような経緯で、ウクライナは完全に無防備になってしまった。無防備になったところでウクライナはロシアに攻撃され、領土が占領され、戦争になってしまった。  この戦争は、ウクライナ軍が衰退したからこそ可能になったものである。もしウクライナが少しでも戦力を残しておけば、この戦争は起きなかったであろう。ロシアが、ウクライナは反撃できないと確信していたからこそ、侵略を強行したのだ。これは単純明快な理屈である。  残念ながら、ウクライナ軍とはウクライナを征服したい汚らわしい侵略者の触手から国や国民を守れる唯一の盾であることは、戦争になってから明らかになった。  2014年の政権交代後、新政府は急いで軍の建て直しを実行し始めた。防衛予算は2倍増えて、兵隊の数は半分に増えた。訓練が定期的に行い、汚職はできるだけ減らして(まだまだ汚職は多いのだが)、装備の充実と新兵器の導入などが始まった。  しかし、戦争になってからでは遅い。大きな犠牲を払って、戦いながら立て直さなければならない。このことを平時の内にやっておけば……と嘆くしかない。
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日本国憲法を忠実に守ればウクライナのようになる
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1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。月刊情報誌 『明日への選択 平成30年10月号』(日本政策研究センター)に「日本人に考えてほしいウクライナの悲劇」が掲載。

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