更新日:2023年08月24日 14:35
エンタメ

小池栄子が生き残り続けるワケ。水着イメージを早々に払拭した演技力とキャラ

タクシー三昧だった幼少期の告白にも

小池栄子

『b.―小池栄子写真集』(ワニブックス)

 小池が生まれ育ったのは東京・下北沢。幼かった当時をインタビューで振り返るとき、こう口にすることがある。 「幼稚園のころ、祖父と遊びに行くときはいつもタクシー。歩きませんでした」  祖父が東京・下北沢でパチンコ店を営み、裕福だったためだが、下手をすると反感を買いかねない言葉である。ところが、小池にはその心配がない。歯に衣着せぬ物言いをする人だが、発言が問題になった試しもない。  これも好感度が高いから。そうでない女優がタクシー三昧だった過去を明かしたり、遠慮せずにズバズバと発言をしたりしたら、まず間違いなく反感を買うだろう。  中学からは九段にある私立の女子中高一貫校で学んだ。いわゆるお嬢様学校だ。在学中の6年間はダンス部に所属した。人気者だったという。このキャラなら、そうだろう。   中3のころから街頭でスカウトから声を掛けられるようになる。本人にも女優への憧れはあったが、現実的な夢は保育士。誘いは断り続けた。だが、17歳だった1997年のときに元所属事務所代表の野田義治氏(76)に熱心に口説かれ、芸能界入りに反対だった両親の説得にも当たってくれたため、憧れの女優を目指すことを決意した。

水着になることに反発

   デビューは高3だった1998年。フジテレビの深夜ドラマ『美少女H』に出演した。その後も藤原紀香(51)が高校教師に扮したフジの学園ドラマ『ナオミ』(1999年)に生徒役で出るなど女優としての滑り出しは順調だった。  ところが、すぐに転機が訪れる。野田氏から水着写真集『Eiko』(同年)の仕事を打診されたのだ。デビュー前の約束で、「水着の仕事はしない」ことになっていたが、身長166・B91・W66・H87(当時の公称サイズ)の小池を水着写真集業界が放っておかなかった。 小池は当初、断って芸能界を去るつもりだった。 「何で知らない人の前で水着を着て、セクシーポーズを取らなくちゃいけないのか。恥ずかしかったし、約束が違うという気持ちもありました」(日刊スポーツ、2006年5月21日付)  その気持ちを母親に伝えた。母親は芸能界入りに否定的だったので、引退を支持してくれると思っていた。ところが、母親の言葉は予想に反するものだった。 「おまえを信じてる。頑張れ」(同上)  当時はデビューから1年余。辞めるのは女優として足跡を残してからでも遅くはない、と母親は考えたのだろう。この言葉に背中を押され、小池は写真集の仕事を受けた。  以後、小池は2004年までに計11冊も水着写真集を出した。だが、その記憶が薄らいでいる人が多いのではないか。芸能人にとって水着写真集は両刃の剣。知名度はアップするが、後々まで色眼鏡で見られてしまう場合もある。ところが小池は水着のイメージが早々と払拭された。水着姿よりキャラの魅力が勝ったからだ。
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女優業に一途にまい進
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放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員

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