更新日:2023年08月24日 14:35
エンタメ

小池栄子が生き残り続けるワケ。水着イメージを早々に払拭した演技力とキャラ

女優業に一途にまい進

 水着の仕事と並行して女優業に精力的に取り組んだことも大きかった。映画は故・森田芳光監督の『模倣犯』(2002年)、堤幸彦監督(66)の『2LDK』(2003年)、中島哲也監督(62)の『下妻物語』(2004年)などに出た。実力ある監督たちの教えを立て続けに受けた。  舞台にも立った。松尾スズキ氏(59)の演出による名作『ドライブ イン カリフォルニア』にも2004年に登場している。連続テレビ小説『こころ』(2003年度上期)にも出た。寝る間もないくらい忙しかったはずだ。その分、鍛えられ、演技は瞬く間にうまくなった。  野田氏は筆者の取材に対し、小池の性格を「一途」と評していた。事実、ずっと仕事一途。本人も「仕事を趣味にして生きている」と言うくらいである。  だから若くしてデビューしながらスキャンダルの類は一度もない。21歳だった2002年に元格闘家の坂田亘氏(49)と知り合うと、ほどなく交際を開始。2007年に結婚した。坂田氏は現在、小池の個人事務所の代表も務め、公私ともにパートナーである。

前回の大河出演では巴御前を名演

 ちなみに小池と坂田氏は2009年、一部スポーツ紙に破局の危機を報じられたことがある。根拠は不明だった。こういった場合、芸能人側はもちろん抗議するが、それで済ませてしまうことが大半だ。だが、小池は民事訴訟を起こした。力強くフェアなキャラのとおりだった。勝ったのが小池であるのは言うまでもない。  大河への出演は『鎌倉殿の13人』が2作目。くしくも前回の出演作も源平合戦が描かれる『義経』(2005年)だった。演じたのは、木曽義仲(同作では小澤征悦)の愛妾で武者の巴御前。今も語り継がれる名演を見せた。  中高の6年間、ダンス部にいたくらいなので、殺陣はキレッキレ。それより見る側の胸を打ったのは義仲の子・義高(同・富岡涼)へ降り注いだ愛情だ。演技とは思えぬほどだった。義高が源頼朝(同・中井貴一)の人質になることが決まった際には最後まで頑として反対した。その後、義高が頼朝の命令によって殺されるのは知られているとおりである。  当時、小池は義仲を鎌倉に送り出すシーンを振り返り、「ああ、手放したくないと思った」と語った(ステラ2005年5月27日号)。本人も愛情深いのだろう。「演技力は衰えたり、目減りしたりしない」とよく言われるが、キャラも一生もの。小池の時代はまだ続く。<文/高堀冬彦>
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員
1
2
3
おすすめ記事
ハッシュタグ