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現役東大院生が『原子力ムラ』を擁護!?

復旧作業が続き予断を許さない福島原発。3・11以降も訳知り顔で福島原発を語る人は少なくないが、06年から福島原発の周りでフィールドワークを続けてきた社会学者がいた。開沼博――1984年、福島県いわき市生まれ。現在は東京大学大学院学際情報学府博士課程に在籍する若手社会学者だ。

6.11 NO NUKES Shinjuku Tokyo 17

著者の開沼博氏は福島で「原発が止まると困る」という声にならない声にも耳を傾けている

開沼 私は06年から福島を中心に青森や新潟の原発立地地域とその周辺でフィールドワークを行ってきました。福島県いわき市に生まれ育ちましたが、必ずしもそれが研究の動機ではありません。動機は「日本の無意識」を明かすことでした。つまり、私たちの意識の中での「日本」のイメージは、時に「東京」や「先進国としての豊かさ」とヒモ付けられがちですが、そこに現れない無意識的なものこそが、実は日本を形作っているということを解き明かしたかったのです。そのためにも「東京=私たちの意識する日本」の源としてのエネルギーを支える福島、あるいは東北というものを見る必要があると考えました。

――3・11以前から福島を見てきた社会学者として、今のフクシマについて思うことは?

開沼 指摘すべきことは2点あります。一つは東日本大震災の特殊性です。社会学にはリスク社会論という議論があります。単純化して言うと、リスクには、飢餓とか疫病とかいった「自然のリスク」と、近代化の中でそういったものの害を抑えるために発達した科学が、逆に人類にとって予期せぬ害をもたらす「人工のリスク」の2つに分けられます。津波は前者、原発は後者と言えますが、この両者の極端なものが同時に発生する状況は今までなかった。その未曾有の混乱がこれまでになかった形の無秩序に落としいれたということです。

――その大混乱のなかで何が起きているのでしょうか?

開沼 この特殊な状況下で炙り出されたのは知識人の体たらくでした。かつては、社会的な事件が起こると、文芸批評、あるいは近年「社会学の時代」などと言われたように社会学をはじめとした研究者がその状況を説明し、あるいは何らかの秩序回復へのアクティビズムを喚起していく役割を少なからず果たしてきました。しかし、今回はとりあえず怯えてみたり逃げてみたり、ニワカ知識で脱原発派になってみたり……。

 多くの人の興味は、放射能がバンバン出続けている状況がどうなるか? そしてまた、出てしまっている放射能が自分にどれだけ害を及ぼすのか?ということにしかない。その苛立ちを相対化すべき知識人が、口を開いたと思ったら結局、苛立ちに後乗りし煽ることしかできない。別にそれが無害ならば放置すればいいですが、有害です。端的に言えば福島への抑圧・差別に加担している。そして中途半端に権威性を持っているがゆえに厄介です。それならはじめから黙っていればいい。

――フクシマはどうなるのでしょうか?

開沼 3・11以後も「フクシマ」にまつわる根本的な構造は何も変わっていません。そしてこのまま行けば何も変わらないままに終わります。そんなことないだろうと思う方もいるでしょうが、例えば1年前の今、何が起きていたか覚えているでしょうか? 連日ニュースでは米軍基地問題で揺れる沖縄のことが取り上げられていたのです。守旧派は一定数いるものの「これは変えなければならない、変えるべきだ」と叫ぶ知識人が多かった。

 しかし、今どうなりましたか。半年後、1年後、あるいは原発復旧作業の後、福島が同じことになっていることは明らかです。その前提を私たちは共有しなければならない。かつてどうだったかは別にして、既存の「知識人」は「東京の東京による東京のための、ちょっとカネと教養がある者のための知識人」でしかないということです。

「現地に行かないヤツは黙ってろ」とやたら原発作業員の方を崇めるような風潮には違和感を覚えますが、メディアに露出する前提で現地をチラッと見て地元の飲み屋でうまいもの食った挙句に「被災地に行ってきた。そこには現実があった」などと取ってつけたようなエピソードを感傷的に語る傾向には吐き気を覚えます。

――では、今後のフクシマをどうすべきだと考えますか?

開沼 この問題を考えるすべての者が「原子力ムラの擁護」からはじめるべきです。と言ってしまうと、誤解を生むので少し解説すると、「原子力ムラ」という言葉はアカデミズム・ジャーナリズムで2つの意味で用いられてきました。一つはすでに知っている方も多い、広い意味での閉鎖的な原子力行政を呼ぶ「原子力ムラ」、もう一つが、私が主に研究対象としてきた原発立地地域という意味での「原子力ムラ」です。

 そして、私たちはすでに常に、この原発を置く側としての「中央の原子力ムラ」と原発を置かれる「地方の原子力ムラ」という2つの原子力ムラを、無意識のうちに踏み台にしながら、今、パソコンでスマートフォンでこれを見、便利な生活をしている。今さらそれを一切合財無かったことにするというのはあまりに理想主義的である以上、私たちはこの二つの原子力ムラをメディア消費のネタとすることなく、擁護から出発することが必要なのです。

 例えば、事態が進行しつつある中で地元の人の声に寄り添い続ければ、今「知識人」が流している言説の空虚さと害悪が明らかになります。地元の住民の多くは東電叩きや脱原発、あるいは「福島からの疎開」など望んでいない。「原発が止まると困る」「何があっても家を離れたくない」と泣きながら語る老女の言葉の裏には、これまでの生活をこれまでどおりに、生まれ育った場所で、身の回りの人と送りたいという思いがある。知識がある、逃げることができる、あるいは子どもを育てなければならない人々の声は勿論重要です。

 しかし、そうではない、その地にいて多くを語ることのない人々の言葉に徹底的に寄り添うことからはじめるべきです。そして、その地の歴史的な文脈を知る努力をし、その上で未来を語るべきです。そうでなければ、結局中央の都合で話しが進められてしまい「中央の原子力ムラ」も、「脱原子力ムラ」に看板は変わるかもしれないが、再生産されるだけです。何らかのスケープゴートを作ってフクシマを忘却することだけは避けなければなりません。


福島生まれの開沼氏の言葉は重い。新刊『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』は福島原発を語るうえで欠かせない書と言えるだろう。

構成/犬飼孝司(本誌) 写真/midorisyu from flickr


◆関連書籍
「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

原発は戦後成長のアイコンだった




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