皐月賞でダノンタッチダウンに騎乗する川田将雅が“仕事人間”から変わった理由
ご存知の通り、競馬はギャンブルです。
世の中には、あまりいいイメージを抱いていない方がいることも理解していますが、ギャンブルであると同時に、スポーツという側面があることをもっと知ってほしい——。そんな思いを僕はずっと抱いてきました。
(本記事は、川田将雅著『頂への挑戦』より抜粋したものです)
2年連続リーディング2位に終わった2020年の年末、どうしても一番になれない現実を前に、「責任感でがんじがらめになっていた心を少しだけ解放してみよう」という思いに至りました。
一番になるためには、何かを変える必要があると思ったからです。
そんなマインドの転換を意識したのは、前年の2020年、突如として我々の生活を襲った新型コロナウイルスの猛威も無関係ではありませんでした。
幸いにも競馬の開催が中止になることはありませんでしたが、結果的に、長きにわたる無観客競馬に突入。不要不急の外出を禁じられ、否応なしに時間の使い方が変わりました。
それまでは、競馬開催のない月曜日や火曜日もパーティーやゴルフのほか、馬主さんのおつき合いもあったので、オフらしいオフがないのが普通でした。
それらが突然、一気になくなったわけですから、あのときの変化たるや、文字通りの「激変」でしたね。
となれば、当然自分の時間が増え、家族と過ごせる時間も増えます。
それまで趣味といえばゴルフくらいだったものが、アウトドアにハマり、バイクの免許を取り、さらには船舶の免許も取得。こうして一気に趣味が増えたことで、プライベートの過ごし方も激変したのです。
この変化が僕にもたらしたものは、心のゆとりでした。
平日と週末のメリハリが自然と生まれたことで、仕事の向き合い方にも、いい意味で変化が起こりました。
「仕事人間」からの変化
コロナ禍で生まれた心の余裕
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1985年生まれ、2004年にデビュー。08年に皐月賞をキャプテントゥーレで勝利してGIジョッキーの仲間入り。12年にはジェンティルドンナでオークスを制し、名実ともにトップジョッキーに。13、14、19、20、21年に最高勝率騎手、16年に特別模範騎手賞を受賞。同年にマカヒキで日本ダービーを制覇。22年は最多勝利・最高勝率・最多賞金獲得の三冠を実現し、史上4人目となる「騎手大賞」を獲得。9年ぶりの「JRA生え抜きリーディングジョッキー」となった。
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