「野球選手として、一茂はもったいなかった」長嶋一茂という“前代未聞”…指導係だったヤクルト小川GMが振り返る現役時代
長嶋一茂(以下、一茂)は池山隆寛やのちに入団する古田敦也と同学年。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄の息子ということで話題性は十分。新たな刺激を加えるという意味ではチームに大きな影響を与えた。
荒木大輔の入団の時もすごかったが、一茂フィーバーもすごかった。一茂の場合は女性や子どものファンというより、マスコミの熱狂がすごかった。
一茂が2年目の時、彼と私はアメリカ・ユマ春季キャンプで同部屋となる。これには一茂の指導係の役目もあった。しかし今振り返っても、彼との同部屋生活は驚きの連続だった。
※本記事は、小川淳司著『ヤクルトスワローズ 勝てる必然 負ける理由』より抜粋したものです。
一茂は2年目なのにお坊ちゃん丸出し。キャンプの1日は毎朝、まず体操をやって、朝食をとって、準備して球場へ行くというスケジュールなのに、まずあいつは朝、起きない。「小川さん、僕、いいです。行かないですから、小川さん、一人で行ってください」って。「おまえね、そういうわけにいかないんだよ。俺の責任になるんだから」って蹴っ飛ばしながら連れて行って、体操させる。ほぼ毎日それの繰り返し。
普通、後輩は先輩のために朝コーヒーを入れるのが当時の常識だったが、あいつは寝ている。
部屋には冷蔵庫がなく発泡スチロールの箱に毎日氷を入れて、買ってきたビールとか缶ジュースとかを全部入れて冷やしておくわけだが、それも一切やらない。教えても一切やらないから、しょうがない。私が買い出しに行って、毎日練習から帰って来たら氷を入れ替えて飲み物を入れていた。
ユマのキャンプには成田空港でチョーヤの梅酒を1本だけ買っていき、それを夜寝る前に、1杯だけゆっくりと飲むのが、私のハードな海外キャンプの中のちょっとした楽しみ。あるとき、練習から帰って来たらチョーヤの梅酒がない。なくなっている。
一茂に「俺の梅酒、知らない?」って言ったら、「小川さん、すみません。全部飲んじゃいました」って。「おまえよ、あと何日キャンプ残ってるんだよ。俺、いつも寝る前に飲んでるのに」って言ったら、「いや大丈夫、大丈夫。ロスから取り寄せますから」って、次の日に10本来た。なんだ、それって。
一茂は突然いなくなるということもあった。キャンプの夜、あいつが帰って来ない。どこ行ったのかわからない。携帯電話もない時代、調べようもないし、人の部屋にも行っていない。結局、朝まで帰って来なかった。「おまえ、どこ行ってたんだよ」と怒ると、「いや、友達の所に行ってました」ってあっけらかん。ユマの街はそんなに治安はよくないよ。「キャンプで外泊したやつなんて見たことねえぞ」とほとほとあきれた。
その年はユマのあと、ハワイでもキャンプを行った。
オアフでもまたあいつは夜帰って来ない。オアフにも知り合いがいっぱいいるのだろうが、「おまえ、外泊するなら言えよ。こっちは心配してて寝れてないんだぞ。俺の責任があるんだから」って。そういうのもお構いなしなんだ。あれは本当に困った。
でも、彼の中ではそれが本当に普通のことらしい。怒っても、あいつの考え方がそう大きくは変わらないのだろうなと思い、ガミガミ言うのをやめた。鬼の野村克也監督が就任するのはその翌年。野村さんが来るまでは自由奔放な一茂であった。

長嶋一茂の入団発表会見。左より関根潤三監督、長嶋一茂、相馬和夫球団社長 ©産経新聞
長嶋一茂という前代未聞
一茂失踪事件
1957年、千葉県習志野市生まれ。東京ヤクルトスワローズゼネラルマネージャー。1975年、千葉・習志野高校3年時、夏の甲子園にエースとして出場し、優勝。1982年、ドラフト4位でヤクルトへ入団。以後、1991年までプレーしたのち、1992年に日本ハムに移籍し、同年で現役を引退。その後、ヤクルトのスカウト、2軍コーチ、2軍監督、1軍ヘッドコーチ、1軍監督、シニアディレクターを歴任。2018年から2019年まで2度目の1軍監督を経験したあと、2020年から現職。
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