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大量閉店「庄やグループ」。苦しい懐事情の原因の一つに日本人の“魚離れ”

チェーン居酒屋「庄や」の運営元である株式会社大庄の業績が冴えません。 自前で料理人を育てつつ、独立制度も充実させることにより店舗数を増やした同チェーンですが、2010年代以降は飲食文化の変化により規模を縮小せざるを得ませんでした。そして、市場の変化に悩まされるなか、コロナ禍により大打撃を受け、3年間で200店舗以上が閉店に追い込まれました。 別事業で復活を狙っているようですが、ピーク時の規模まで回復させるのは難しいかもしれません。今回は、大庄のこれまでのあゆみと近年の業績悪化について取り上げたいと思います。

チェーン御三家とは別路線で勝負

大庄のルーツは1968年に東京都・大田区で開店した「若鳥屋」から始まります。1971年に株式会社化したあと、73年に庄や1号店となる大衆割烹「庄や本家店」をオープンしました。大庄の社長は庄やを“安価な割烹”と位置づけ、他のチェーンのように居酒屋として扱われるのを嫌がったようです。 安価な居酒屋メニューではなく質の高い魚介類で勝負し、80年代にしのぎを削っていた居酒屋チェーン御三家(養老乃瀧、村さ来、つぼ八)とは異なった戦略で店舗数を増やしました。刺身盛りや焼き魚類のメニューが充実しており、他チェーンよりもやや価格が高い分、料理に力を入れている印象があります。

充実した独立制度を軸に規模を拡大

ただし、外部から派遣される板前の質は低かったようで、板前を育てる方針をとり、自社で調理師学校を設立しました。また、有能な幹部の中には独立志向を持つ者が多いことにも気づき、1981年には独立者に対する資金援助・教育研修等を目的とした「協同組合庄や和食グループ」も設立しました。 同グループは独立者の資金調達、ノウハウ構築を支え、大庄の店舗数増加にも貢献しました。大庄は調理師育成と充実した独立制度を軸に規模を拡大し、1997年には東証二部上場、99年には一部上場企業となりました。成長の過程で居酒屋「榮太郎」など他チェーンも買収していますが、あくまでも庄や事業が軸となっています。
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「酒離れ&魚離れ」で業績悪化
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経済・テクノロジー・不動産分野のライター。企業分析や都市開発の記事を執筆する。取得した資格は簿記、ファイナンシャルプランナー。趣味は経済関係の本や決算書を読むこと。 Twitter:@shin_yamaguchi_

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