吉野家とすき家で”大きな明暗”。牛丼に次ぐ第二事業「はなまるうどん」も停滞…「ラーメン業界進出」に勝機はあるのか
経済本や決算書を読み漁ることが趣味のマネーライター・山口伸です。『日刊SPA!』では「かゆい所に手が届く」ような企業分析記事を担当しています。さて、今回は株式会社吉野家ホールディングスの業績について紹介したいと思います。
1959年に現在の原型となる店舗を出店し、日本初の全国的な牛丼チェーンとして各地に勢力を伸ばした「吉野家」。いち早く海外にも進出し、現在では国内で約1,200店舗を展開する一方、海外では約1,000店舗を展開しています。しかし、国内外の吉野家事業は既に頭打ちとなっており、2006年に子会社化した「はなまるうどん」も苦戦と、他業態の開発に失敗しています。ライバルである多角化に成功した「すき家」のゼンショーにも差をつけられました。新業態店の開発、またはM&Aが急務となっています。
吉野家は1899年、東京・日本橋で開業しました。牛鍋の具を米の上にのせた「牛めし」を牛丼として提供し、当時は酒やつまみなども提供していました。関東大震災で店舗を失うと、築地の魚市場で再び出店しました。戦後は一時、屋台として営業。
1959年には、現在の原型となる「早い、うまい」をモットーとした店舗を出店しました。同店舗では牛肉と玉ねぎだけを具とした牛丼を提供し、牛丼以外には玉子とお新香しか提供しなかったようです。つまり吉野家は、牛丼を初めてファストフード化したのです。
1968年に2号店、翌年に3号店を出店し、70年代から多店舗展開を始めました。75年には米国で海外1号店を出店しています。78年には国内で200店舗を達成。過度な展開で一度は倒産しましたが、その後再建しました。1991年に牛肉の輸入が自由化されると牛肉の価格は低下し、吉野家は出店ペースを加速。96年に500号店を出店し、2004年に国内1,000店舗を達成しました。
ちなみに2004年から2007年までの間、BSE問題で米国産牛肉の輸入が止まったことにより、吉野家は一部期間を除いて牛丼の提供を取りやめ、代わりに「豚丼」を提供しました。
68年創業の松屋、82年創業のすき家よりも早く店舗展開し、店舗数で業界トップの座を維持していた吉野家ですが、2008年にすき家に追い抜かれました。すき家は地方やロードサイドにも出店するなど、出店立地の幅が広いのが特徴です。また、ロードサイドという立地柄、吉野家よりもファミリー客や女性客が多く、客層に合わせたトッピングなどの豊富なメニュー構成が差別化につながったとも言われています。
現在ではすき家が国内で2,000店舗弱展開するのに対し、吉野家は約1,200店舗、松屋は約1,100店舗です。個性的な期間限定メニューで話題を呼ぶ松屋と比較しても、吉野家の存在感は低下ぎみに思えます。
海外展開に関しては、前述の通りいち早く米国に出店。90年代からアジア地域での出店を強化しました。現在の海外店舗数994店舗。米国は約100店舗で、中華圏は約700店舗、インドネシアには173店舗あり、その他の国にも出店しています。しかし海外店舗数は近年増えておらず、成長軸にはなっていません。

吉野家の牛丼 アタマの大盛り サラダセット
牛丼がファストフードとして定着するきっかけに
2008年、すき家に抜かれて「業界2位」に
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経済・テクノロジー・不動産分野のライター。企業分析や都市開発の記事を執筆する。取得した資格は簿記、ファイナンシャルプランナー。趣味は経済関係の本や決算書を読むこと。 Twitter:@shin_yamaguchi_
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