1998年のベイスターズ優勝メンバー、ボビー・ローズがSNSで「意外なメッセージ」を発信する理由
1998年以来の「優勝」――セ・パ交流戦で初優勝を遂げた横浜DeNAベイスターズ。さらなる「頂点」を目指す厳しく長い戦いが再び始まった……
パ・リーグ6球団とのセ・パ交流戦を11勝7敗で戦い抜いた横浜DeNAベイスターズが、交流戦初優勝を達成した。
ペナントレースの年間総合成績に含まれる交流戦での優勝は、143試合の長丁場を戦う選手やスタッフに大きな自信をもたらすだろう。そして米国からは1998年の優勝メンバー、ボビー・ローズがSNSでの発信と応援を始めた。
「交流戦最後の連戦がはじまるとき、交流戦の優勝を意識したなかで戦っていこうとチームに伝えた。そんななかで最後の最後まで戦えた。チームにとっても大きな財産になるでしょう」
1998年の横浜ベイスターズ優勝メンバーの三浦大輔監督は、交流戦の最終戦に惜敗した直後の会見で改めて「優勝」の二文字を口にした。
「レギュラーシーズンに戻っても、チーム力はついてきていると思う」
15名ほどの番記者に囲まれた三浦監督の表情からは、最終戦を勝利して自力優勝を決められなかった無念さと、18試合の交流戦を11勝7敗で戦い終えた安堵感が入り交じった充実感が伝わってきた。
’05年から始まった交流戦はベイスターズにとって鬼門だった。昨年までの通算勝率は4割1分4厘。しかし今年は違った。
交流戦最終戦を11勝6敗の「マジック1」で迎えた横浜DeNAベイスターズは、最終戦に勝つか引き分けで、優勝が決まる状況にあった。横浜スタジアムには、月曜夜の振替試合にもかかわらず3万人超のファンが集った。結果は3対4の惜敗。自力で優勝を決められなかったもどかしさは、どこか懐かしく感じた。
勝ち切れないもどかしさ。
25年前の光景と重なった。1998年10月、38年ぶりのリーグ優勝まで「マジック3」としたベイスターズは、ホームで前年首位のスワローズに3連敗を喫し、足踏みした。このチームはいつもそうだ。ここ一番の大舞台でスカッと勝ちきれない。そうかと思えばワンサイドで大勝ちをしてみたり。ムラっ気のある戦いは、ホエールズ時代からの名残に思えてならない。
優勝を意識して戦えたのはチームの大きな財産
ここ一番の大舞台で勝ち切れないもどかしさ
1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか
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