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元AKB48・浦野一美37歳、妊娠を発表「“おめでとう”がプレッシャーだった」マタニティブルーを乗り越えて

人生は一度きり。今しかできないことをやる

浦野一美 そんななか、「AKB48とSDN48のメンバーを兼任していた時期は体力的にも精神的にも大変だった」と浦野さんは話す。 「AKB48のチームBは『愛され系・末っ子』という特徴なのに対し、SDN48は『大人セクシーな雰囲気』という全く毛色の違うグループだったので、どっちの自分を演じればいいのか悩んでいました。メディアに出ても、AKB48とSDN48の両方に所属している関係から個性を殺していたというか、自分を売り出せずにいたんです」  その後、2010年に浦野さんはSDN48へ完全移籍し、2012年に同グループを卒業。  アイドル活動自体は、2014年までAKB48の派生ユニット・渡り廊下走り隊のメンバーとして続け、引退後はフリーランスに転身する。  アイドル活動に終止符を打ったのは、「人生は一度きりだからこそ、チャレンジしてみたい、新しい人生を歩みたいと考えていたから」だと浦野さんは語る。 「10代は普通の生活でしたが、20代は芸能活動だけやってきたこともあり、世間から取り残されていた感じがして。これから30代~40代を過ごしていくなかで、今しかできないことをまずはやろうと思ったのが、フリーランスになった理由ですね」

キラキラした“港区女子”は肌に合わなかった

 アイドルとして長く過ごしてきた浦野さんにとって、「夜に友人と飲みに行く」ことさえも新鮮だったという。キラキラな世界を見てみようと、“港区女子”が集う西麻布や六本木に繰り出した時期も。 「港区女子チャレンジは半年で嫌になっちゃいました(笑)。自分には合わなかったですね。ただ、2018年に大手事務所から別の事務所に移籍し、ファッションやコスメの展示会によく連れていってもらったときは、同世代の女の子と関わる機会があって、すごく刺激をもらいました。美容トークはもちろん、『婚活している』という恋愛話も聞けたりと、とても充実していたのを覚えています」
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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