元AKB48・浦野一美37歳、妊娠を発表「“おめでとう”がプレッシャーだった」マタニティブルーを乗り越えて
「会いに行けるアイドル」というコンセプトで、アイドル業界に旋風を巻き起こしてきた「AKB48」。そのオープニングメンバーとして、2005年にグループへ加入したのが“CinDy(シンディー)”の愛称で親しまれた浦野一美さん。現在、37歳。
また、プライベートでは2022年5月に6歳年下の男性と結婚。そして7月8日、浦野さんはSNSで妊娠を発表した。そこで今回は、AKB48時代のエピソードやアイドル引退後の生活、マタニティブルーを乗り越えた心境について本人に聞いた。
浦野さんは、幼少期から漠然と芸能の道へ進む夢を抱いていたそうだが、学生時代は特に歌やダンスは習ってこなかったという。
「有名なったらできないことを先にやっておこう」という考えから、まずは社会人生活を経験し、一般常識や基本的なマナーを身につけるため、高校卒業後はデパートの受付の仕事に就く。
「コミュニケーション能力に自信があり、華やかな世界に憧れていたので、接客を通してハートフルなおもてなしができる職場で働きたいと思っていました。デパートのインフォメーションスタッフはまさにぴったりだなと感じ、就職したんです」(浦野さん、以下同)
その当時はデパートの受付嬢として働く傍ら、副業でイベントコンパニオンもしていた浦野さん。転機になったのは、偶然にも「AKB48のオープニングメンバー募集」というオーディションを告知するチラシ配りをしたことだった。
「チラシを見てAKB48の存在を初めて知ったわけですが、私はいつも人生の波に乗るタイミングを見計らっていて。どの波に乗れば、自分が動いた先でチャンスが舞い込んでくるのかを考えるんですが、まさに今がその時だなと。そう思って、迷わずオーディションへ参加しました」
こうして2005年にはAKB48の1期生メンバーに合格し、アイドルとして芸能活動をスタートさせる。“秋元康プロデュースのアイドル”という前評判から注目を集めたAKB48だったが、初期の頃は劇場公演へ足を運ぶ人がそこまで多くなかったという。
「人数が少なかったからこそ、アイドルとしての“ファンとの接し方”を学ばせてもらった」
そう浦野さんは振り返る。
「私がAKB48に入った頃は、アイドル慣れしている生粋のオタク層が多かったんです。そのファンの方たちは、“アイドルの専門家”とも言える存在で、『どうしたらアイドル然とする振る舞いになるか』というのを、ファンレター(手紙)でたくさん教えてもらいました。この時にアイドルとしての基礎が身についたと思っていますし、今でも感謝しています」
AKB48がテレビやCMなどメディアへの露出が増えていくと、劇場公演のチケットが取れないほど、人気が高まっていく。浦野さんも、いつしかファンの間では“シンディー”の愛称で慕われるように。
「私に惚れたら上級者」、「あなたの常備薬になりたい」といった一風変わったキャッチフレーズは、ファンから付けてもらったそうだ。
AKB48劇場のグランドオープンのステージに出演し、まだ知名度のなかったAKB48を初期から支えてきた存在として知られている。2014年にアイドルを卒業し、現在はフリーランスでタレント活動の他、YouTubeや17LIVE、Instagramなどをメインに活動している。
チラシ配りの仕事でAKB48のオーディションを知る
アイドルの基礎は生粋のオタクに学んだ
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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