伝説の“レディース総長”が令和の時代にバズるワケ。SNS総再生回数は1700万回超え
こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は休刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。
今回お話するのはティーンズロードでカリスマ的な存在だった「北関東硬派連盟貴族院女族」元2代目総長のかおりさんについて。
全国各地の様々なレディース総長に会ってきた私ですが、彼女はその中でも5本の指に入るほど、良い意味でも、悪い意味でも、「逸材」だったと記憶してます。
当時の彼女は17歳。初めて会ったのは30年以上前のことです。彼女が総長をやっていた女族(じょぞく)から編集部に「取材してもらえませんか?」という連絡が来たので、私たちは栃木県の某所に向かいました。
そこにいたのがかおりさんなのですが、最初からインパクトが強く、切れ長の目と17歳にしてはどことなく色っぽい雰囲気が印象的でした。後に聞いた話では「16歳からスナックの雇われママをしていた」そうなので、大人っぽい感じがしたのかもしれません(と、軽く話しておりますが、本来は“16歳でスナックの雇われママ”自体がありえないことなのですが……)。
そんな彼女は喋り方がどことなくカタコトだったので「もしかして他の国の人?」と聞くと「私、台湾人なんです」。やはりそうだったのかと納得し、なぜ日本でレディースの総長になったのかインタビューしました。
「生まれたのは台湾の台北市。早くに両親が離婚して、母親が出稼ぎのため日本に行ったんだけど、私も小学5年生のときに日本に来た。でも結局は母親の仕事の事情もあって、一緒に住むことができなくて……。親と一緒に住んだ記憶なんてほとんどなくて、そうこうしてるうちに学校で台湾人ということでイジメにあって、ブチ切れたり、シンナーや万引きをやるようになって、同じような子たちとツルんでいるうちにレディース作ろうって話になったわけ」
まあ、たしかに話を聞くと、家庭環境が彼女を不良の道へ行かせてしまったんだろうと思いました。しかし、彼女はタダの非行少女とは根性の入り方が違うというか、とにかく喧嘩するのが大好きらしく、それもターゲットは女ではなく男。チャラい男を見つけると喧嘩を売ってボコボコにしていたらしいのです。
「女に喧嘩を売ってもたいてい向こうが引いちゃうから喧嘩にならないんだよねー」と彼女。
彼女は喧嘩で勝つために、電信柱を殴ってこぶしを鍛えたり、足のすね(弁慶の泣き所)をビール瓶で叩いて鍛えたり……。また、常に100円ライターをポケットに忍ばせ(握りながら殴ると自分の指が骨折しないらしい)、バッグの中には大きな石を入れていたそうです(顔面を目掛けてフルスイングするとか……)。
カリスマ的な人気を誇った伝説のレディース総長「かおり」
家庭環境から不良の道へ…
伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』をはじめ、改造車だけを扱うクルマ雑誌『VIP club』や特攻服カタログ『BAMBO』、渋谷系ファッション雑誌『MEN’S KNUCKLE』など、数々の不良系雑誌の編集長を務めて社会現象を起こす。現在は、大洋図書発行の実話誌『実話ナックルズ』のYouTubeチャンネル「ナックルズTV」や、ギャル男雑誌『men’s egg』をWebで復活させたYouTubeチャンネル「men’s egg 公式」のプロデューサーとして活躍中。
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