更新日:2023年12月22日 20:38
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伝説の“レディース総長”が令和の時代にバズるワケ。SNS総再生回数は1700万回超え

「総長になってからがいちばん真面目」

女族・かおり

写真は、雑誌『ティーンズロード』より

 とはいえ、かおりさんも女性です。だれかれ構わず喧嘩を売っていると、時には相手が暴力団でボコボコにされてしまったり、拉致されて襲われそうになったりと、命の危機を何回も感じたことがあったようです。  かおりさんは、当時のことをこう振り返ります。 「私は女族というチームで総長になってからが、いちばん真面目だったかもしれない。だって『シンナー厳禁』『特定の男以外と付き合うの禁止』『時間厳守』『仲間を守る』等々、いろんな規則を作るわけでしょ。総長の私が守らなかったら示しがつかないじゃない。それまでは“いつ死んでもいい”って思っていたけど、信頼できる仲間と居場所ができたんで、逆に無茶なことはやらなくなったよね(笑)」

あまりの人気に「鬼風刃」としてCDデビュー

鬼風刃

音楽ユニット「鬼風刃」としてデビュー。右下がかおりさん。写真は、雑誌『ティーンズロード』の表紙

 彼女がティーンズロードに出るようになってからファンレターや似顔絵など、多くの読者から応援の手紙が届くようになりました。みるみるうちに人気が上がっていったのです。  あまりの人気に女族を引退してからもティーンズロードでは「かおりちゃんの相談コーナー」や「ファッションインタビュー」、当時やっていた「ティーンズロードビデオ」でもレディースチームを取材する際のリポーターとして活躍してもらったほどです。  ある日、某レコード会社から「本物のレディースたちでCDデビューを企画しているので協力してくれないか?」と編集長だった私のもとへオファーが届きました。  私はかおりさんを含め、当時読者人気の高かったレディース総長、副総長に声をかけました。そして、5人組の本物のレディース音楽ユニットが誕生したわけです。  チーム名は「鬼風刃(きふうじん)」と名付けられ、芸能活動が始まりました。各種メディアのインタビュー取材、テレビ出演、レコーディングなど、彼女たちにとってはまさに別世界です。生放送中に他の出演者とあわや喧嘩になりそうになったこともありました。  ただ、メンバーの中では、かおりさんは早くから水商売もしていたせいか、人当たりがよく、大人たちとのやりとりが達者だったような気がしました。  初の単独ライブは渋谷「ON AIR EAST」。当時、それぞれのメンバーの地元の暴走族仲間が渋谷まで応援に駆けつけたので、喧嘩にならないかヒヤヒヤしながら見守っていたのを覚えています。「鬼風刃」はシングルCD2枚、アルバム1枚をリリースしましたが、残念ながら2年で解散してしまいました。
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SNS総再生回数「1700万回」を超える大バズり
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伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』をはじめ、改造車だけを扱うクルマ雑誌『VIP club』や特攻服カタログ『BAMBO』、渋谷系ファッション雑誌『MEN’S KNUCKLE』など、数々の不良系雑誌の編集長を務めて社会現象を起こす。現在は、大洋図書発行の実話誌『実話ナックルズ』のYouTubeチャンネル「ナックルズTV」や、ギャル男雑誌『men’s egg』をWebで復活させたYouTubeチャンネル「men’s egg 公式」のプロデューサーとして活躍中。

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「いつ死んでもいい」本気で思ってた…

伝説のレディース雑誌「ティーンズロード」でカリスマ的存在だった平成の女暴走族「貴族院女族」元2代目総長「かおり」の誰にも話さなかった壮絶な人生の実話を30年を経た今、暴露する!
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