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ピン芸人・ほいけんた(58歳)“さんまの声まね”に16年間。東京生まれで関西弁を習得する苦闘

“さんま脳”が1つできあがってる

――ラジオを聴き続けると、さんまさんの思考も染みついていきそうですね。 ほい:さんまさんの再現ドラマをやらせていただくにあたって、台本のセリフが気になっちゃうのはありましたね。  ベタベタな大阪弁で書かれてたり、「僕」「ワシ」「お前が」「キミが」とか敬称も違ってたりするのもあって、「果たして何が正解だろう」って台本もらっても悩むわけですよ。ディレクターから「このセリフのまま言ってください」と押し切られて、その通りやったこともあるんですけど、そのVTRを見たさんまさんが「あれはな、こう言われたから、俺はこう言うたんや」と訂正してるのが僕の思う言葉だったりしたときもあって。  そういうのを何年もやってるうちに、だんだん制作会社との共有部分が増えてきて、台本に「お任せ」って書かれるようにもなりました。さんまさんは和歌山の生まれ。奈良で育って、20歳ぐらいで東京にきてて。一度関西に戻るんだけど、その後再び東京にきてもう40年以上ですから標準語も混ざってる。たぶん、さんまさんを真似る方でそのニュアンスをちゃんと捉えてるのは僕だけだと思います。  そういう自負もあるから、いまだに『ヤングタウン』は毎週聴いてますし、ニッポン放送の『オールニッポンお願い!リクエスト』もチェックします。そうすると、別の番組で「あのラジオでこれが流行ったから、きっとみんなそれを言ってくるだろうな」って予測できるし、「次にさんまさん、こう振るだろうな」みたいなことも見えてくる(笑)。  もう“さんま脳”が僕のなかに1つできあがってるんですよね。それってものまねというよりは“役作り”に近い。僕デビューしたときは役者で、けっこう序盤に「その役の人がこんなところに行ったら、どんな思考でどんなことをするか」までを考えとけって教わったので、それをいまだにやってる感じなんです。

小学校のときはドリフのコントのものまね

ほいけんた――これまで役者やものまね、マジックやジャグリング、バルーンアート、パントマイムなど様々なジャンルで活躍されています。幼少期からいろんなことに興味を持つ少年だったんですか? ほい:小学校のときはドリフのコントのものまねばっかりやってましたし、ものまね番組を見ると、“ものまねのものまね”をやってたし。それができる、できないにかかわらず、とにかくやってみる。中学・高校のときはマジックがすごい好きで、見よう見まねでやってみたりとか。  しかも、応用するのがけっこう好きで、1個できると割とすぐにオリジナルを作ったりしてましたね。20歳ぐらいまでにいろんな分野で「できなかったことができるようになる」って喜びを経験したことで、「やればできないことなんてないのかな」って思うようになったんですよ。
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バルーンアートの本が番組の影響で“復活”
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フリーランスの編集/ライター。元バンドマン、放送作家くずれ。エンタメ全般が好き。特にお笑い芸人をリスペクトしている。個人サイト「不滅のライティング・ブルース」更新中
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