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精神科への入退院48回、服役生活3年間…自暴自棄だった青年が“人のために生きる”ようになるまで

父の死がきっかけで「野垂れ死にたい」と思うように

 渡邊氏は16歳のころ、シンナー乱用や窃盗などで4度目の少年鑑別所を経験したが、その最中に父親は息を引き取った。 「もちろん深い悲しみや後悔がありました。父に申し訳ないと思う気持ちもありましたが、同時に、さんざん心配をかけたまま父は死んでしまったので、これからは悪の道で生きていこうと決意したんです。今更生活を見直すよりも、野垂れ死にたい……そんな自暴自棄な気持ちでした」  その決意を体現するかのように、父親の死後、渡邊氏はさらに転落していく。その生き方は世の中に対しての悪態と表現しても過言ではない。 「当時は薬物のほかにもアルコール依存に苦しまされていましたから、ホストとして勤務しているのに客と話さず酒を飲み続けたりして、クレームが殺到しました。また、精神病院で身体を拘束されれば看護師などに唾液を吐きかけるなど、迷惑行為も行いましたね……。乱用して錯乱状態になったときは、自宅で妹と刺し合い寸前にまでなり、警察官に確保されました。20代は精神病院への入退院を繰り返して、社会に自分の居場所はどこにもないのではないかと思って生きてきました

「出所後の自分」に向き合ってくれない母

 窃盗などの罪で服役した際にも、渡邊氏は自身の持つ“生きにくい体質”が原因で同室の受刑者たちからの因縁をつけられるなど、標的とされた。それに端を発した刑務所内での自傷行為が原因で、独居房へ入れられてしまう。唯一の楽しみは母親との面会だったが、渡邊氏にとっては苦々しい思い出でもある。 「母は定期的に面会に来てくれましたが、刑務所内で必要なお金の話や出所後の身元引受のお願いには、頑として応じてくれませんでした。それまでの雑談とはうってかわって表情が変わっていくのです」  親から受け入れてもらえない。幼少期から続く寂寥感は、変わらずそこにあった。光が見え始めたのは、刑務所でカウンセリングを受けたことだ。 「カウンセラーから言われた言葉ではっきり覚えているのは、『あなたを許せるのは、あなたの神様とあなた自身しかいない』という言葉です。そのとき、視界が拓けたように思いました。  その後、生命について考えるきっかけがあり、ある日、目の前に心臓が現れました。その心臓が鼓動していて、私はそれを見るだけで涙が溢れてきました。これまで無駄にしてきた生命の大切さにもはっきりと向き合いました」
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依存症は「完治するものではない」からこそ
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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