75歳、認知症の蛭子能収が「最後の展覧会」で表現した“人生の儚さと幸福”
文/椎名基樹
根本敬presents蛭子能収「最後の展覧会」を見に行ってきた。蛭子さんの親友で、今回の絵画制作をサポートした根本敬は、この展覧会に次のような言葉を寄せた。
「2020年、皆さんもご存じの通り蛭⼦さんは『レビー⼩体型認知症とアルツハイマー型認知症の合併症』である旨を公表しました。その際に放った「(これからは)認知症のオレを笑って下さい」という⾔葉に偽りはなく、オレは今まで通りバリバリ仕事をするからこれからも宜しく頼みますという意思表明だったと思います。しかし、現実はそうは⾏かず、認知症を公表したタレントの仕事はみるみる減り、漫画家としての描いたり、もしくは書いたりといった仕事も激減し今や限りなくゼロに等しいのです。このまま蛭⼦さんをフェイドアウトさせてはならない、絵を描くことからスタートした蛭⼦さんを最後は絵=芸術家として飾って貰えたらと考える⼈達が少なからずいて、この度の展覧会は企画されました。(略)
どの絵も「⽣きる」ということが本質的に内包する儚さを突きつけてくるのですが、それでいて幸せな気持ちにもなってしまうのは企画した私達だけでしょうか」
改めて、蛭子能収の過去の仕事を振り返ってみると、その密度と多様ぶりに驚く。イラストは、80年代の「ヘタウマ」のムーブメントに乗って、当時の世の中を席巻していた。作者の名前も知らずに初めて見た蛭子さんのイラストは、私にはとてもおしゃれでポップアートのように見えた。「ヘタウマイラスト」は、大衆の時代の「新たな価値観」を象徴していた。
「地獄に落ちた教師ども」は、日本のサブカル漫画史に残る金字塔だ。蛭子さんはクリエイターとして、永遠に語り継がれる「作品」をもモノにしている。
バラエティータレントとしては、どの芸人よりも爆笑を取っていた。「スーパージョッキー」の「熱湯コマーシャル」に、中年オヤジの醜い体をパンツ1丁になってさらして出演し、過酷な責苦を負わされた。それは、ほぼほぼ「イジメ」で、今の時代ではとても放送できない。それを芸人としての野心に燃える者がやるならわかるが、そんなものは少しも望んでいなのにやってしまう蛭子さんがすごい。
期せずして、蛭子さんは「悪趣味」によって、世の中の常識に揺さぶりをかけていたのだ(と思う、多分)。
認知症を公表した蛭子能収氏が「最後の展覧会」でみせたモノ
世の中の常識に揺さぶりをかけた“蛭子さんの悪趣味”
1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター @mo_shiina
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