更新日:2023年10月19日 16:52
スポーツ

“優勝”を目指していたラグビー日本代表はなぜ勝てなかったのか。背景には2つの「厳しい条件」が

目標であった“優勝”には手が届かず

 日本代表のスクラムハーフとしてフル出場の齋藤直人は、「点を取った後、すぐに返されてなかなか勢いをつかめなかった」と試合を振り返った。自身は正確なパス、運動量、トライへの嗅覚を披露しながら、要所での失点を悔やんだ。加えて、きっかけとなったキックオフの攻防について、こう続けた。 「基本的にはキャッチして、キックを使う。そこはよかったとは思いますが、(相手が)全部、真ん中に蹴ってくるとは思わなかったです」  27-39でノーサイド。日本代表はプールDを2勝2敗の3位で終えて2大会連続2度目の決勝トーナメント進出を逃し、目指していた初優勝は叶わなかった。

アルゼンチン代表は「はっきりと強かった」

 一方、勝ったアルゼンチン代表は2大会ぶり5度目の8強入りに喜んだ。  振り返れば、アルゼンチン代表は試合開始時のキックオフでも、比較的に中央寄りのエリアに蹴り込んでいた。  攻防が流れ出してからは、グラウンド中盤からのハイパントを多用した。日本代表が空中でのボール争奪をやや不得手としていたのを知ってか、球の落下地点に長身選手を走り込ませた。意図的であるかどうかはいざ知らず、日本代表の盲点を突いたのは確かだ。  さらに、アルゼンチン代表は初戦で黒星と、大会序盤はやや低調気味だったにもかかわらず、日本代表戦では激しいコンタクトを重ねていた。はっきりと強かった。  日本代表が長らく固定メンバーで戦っていたのに対し、アルゼンチン代表は最終戦まで随時、選手を入れ替えていた。消耗の激しいフォワードの先発8人中、3戦目から連続出場していた選手の数は、日本代表が全員だったのに対してアルゼンチン代表は3人だった。  生死を分ける一戦では、選ぶプレーの妥当性、選手層でアルゼンチン代表が光っていたと取れる。奮闘も要所で泣いた日本代表にあって、藤井雄一郎ナショナルチームディレクターは「皆、頑張っているんですが、頑張らないといけないときに頑張れなかった」と嘆いていた。
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日本代表が受け入れた2つの「厳しい条件」
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1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年にラグビーライターとなり「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」「REAL SPORTS」「THE DIGEST」「Yahoo! ニュース」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。ワールドカップ期間中は現地情報をオンラインで届ける「ラグビー反省会特別編」を実施。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など
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